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コロナ禍でパラプロが考えたこと

こんにちは!
パラプロの切り込み隊長こと、なつきです。
今回のnoteは「コロナとパラプロ」というテーマで、コロナ禍からパラプロは何を考えたのかを書いていこうと思います。

障害って何だろう


まず、このnoteで使う「障害」って何を指しているのか説明します。
現実がここまで単純ではないことは考えなければならない点ではありますが、今日のメインではないので、かなり大雑把になってしまっている点はお許しくださいませ。

「障害」ってなんだろう?

たぶん、この問いに一番簡単に答えると、「できないこと」がある状態だと思います。

ここで質問です。
皆さん、この絵の人は「障がい者」だと思いますか?

なつき1

多くの人が、「彼は車いすに乗っているのだから、足が不自由な障がい者だろう」と考えたのではないでしょうか。

では、下の絵の状況で、彼は何が「できない」のでしょうか?

なつき2

車いすの前に段差があるから、それを越えることが「できない」。
段差があるせいで、移動がスムーズにできないという「障害」があるのです。

では、次の絵の状況では、何が「できない」のでしょうか?

なつき3

段差がスロープになったことで、彼は段差を越えることができるようになったはずです。
この状況において、彼は移動が「できない」という障害が取り払われているのです。

このnoteの中では、段差のように、障害とは、それぞれの状況に応じて「できない」ことを生み出す存在だと考えていきます。

外出自粛は障害だ


急にコロナに話が戻りますが、この春、日本中で外出自粛が求められました。

これは、不要不急の外出が「できない」状態、つまり私たちは外出についての障害を負ったという見方ができるのではないでしょうか。

あくまで、私は、障害を負わされたと外出自粛を批判したいわけではありません。

そこから私たちが何を学べるか、一緒に考えていきたいのです。

例えば、外出自粛に追い込まれ、社会と直接かかわることが難しくなりました。そこで、私はとてつもない、無力感、社会の役に立てていな自分への絶望感を覚えました。

そこで、何か一つできないことができるだけでこんなにも苦しいのかと初めて気付きました。もちろん簡単に理解した気にはなれないけれど、これまでの私の「障がい者」への想像力が足りていなかったことを痛感しました。

また、段差という障害は、スロープによって取り除かれたように、外出自粛に対しては、インターネットが障害を取り除いたのではないか、と考えられるのではないでしょうか。

こうした「工夫すれば障害が気にならなくなる」という考えを基に、パラプロは新スポーツを作る活動を始めました。現在、鋭意創作中でございます!

パラプロは、withコロナの今だからこそできることはないか、考えて活動しています。

どんな状況も絶対に自分たちの学びにつながるはず。

コロナでたくさんの悲しみが生まれた分、いっぱい学んで成長して、いつも通りの大学生活が送れなかった「元」を取ってやるぞ!

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