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私は私とさようなら|エッセイ


2024年7月11日


久々に一日中鬱屈とした気分だった。

朝、7時半頃目が覚めて、でもあと1時間くらい寝れるから、やることもないしせっかくなら寝ようと思って目を瞑って、30分後くらいに眠気がきて、うとうとして、ようやく眠りについたと思ったらアラームが鳴った。「クソがよ」って思った。

在宅のアルバイトでパソコンを見るのもしんどくて、でも少しでも楽しい気持ちになりたくて、そういうときはいつも芸人さんのラジオを聴いている。1人で作業していても賑やかな感じになって好きだ。
でもやっぱりバイトは早く終わりたくて、さっさと作業を進めていたら1時間巻いて終わった。

袋麺を茹でて食べたら、味がやけに濃くて全然美味しくなかった。しょっぱかったからそれを中和するようにアイスを食べたけれど、それも美味しく感じられなくて、ここらへんで、なんかもう全部嫌になってきてしまった。

洗濯するのを忘れていた。父が出張から帰ってきたので洗濯物がいつもの3倍くらいある。洗濯機をまわしているあいだ「これからいつもの3倍の量の洗濯物を干すのか」と思ったら本当に、心の底から嫌になってしまって、わざとものすごく大きなため息をついた。

洗濯が終わるまでの約50分、気づいたらネットで歌集を3冊買っていた。5日以内に届くらしいけど、5日以内にもう欲しくなくなっている可能性だって大いにある。

洗濯物を干したあと、なにをしようか迷っていた。映画を見たいけれど、最近はもう、心を揺さぶられる映画は全然観たくなくて、でも逆にコメディに全振りみたいな、明るすぎる映画も観たくなくて、「わたし映画みるの向いてないな」と思ってしまったので、プライムビデオを閉じてこのnoteを書いている。

鬱々としながらもXをスクロールする手は止まらず、iPhoneの充電は30%台になっていた。
充電しながらこれを書いているんだけれど、コードが短くて、椅子に座るとピンと張ってしまうので、仕方なくエアコンの風がいちばん当たる場所で床に座って書くはめになってしまっている。もちろん部屋の電気もつけられていない。

久々に「人は皆死ぬのにな...」という考えになってしまっていて、自分のなかで鬱の到来を知らせるランプがビカビカと赤く点滅している。気のせいかサイレンも聞こえる気がする。

誰もいないリビングでうつぶせになって寝て、死体ごっこをしてみたり、家のなかの、まだ座ったことない場所に座ってみたりした。曇りなので家のどこにいても日が差さなくて良い。きっと外がカラッと晴れていたら自分と空のギャップに気づいて「もうええて!」とか独りで言っていただろう。

毎日楽しくないわけじゃないけど、なんの苦しみもなく今すぐ私が消えることができるボタンが目の前にあったら、押すか押さないか小一時間迷ってしまうだろうな、というのが、悔しい。なんの迷いもなく「押しません」と宣言できる人間って、どれくらいいるだろうか。

今日は行こうとしていたライブも行くのをやめてしまったし、友達との遊びの約束も断ってしまった。アルバイトと洗濯だけをした。不味いラーメンを食べて、アイスでも取り返せなかった。

今ならきっと15分くらい迷ってから、おそるおそるボタンを押して、私は世界から消えるだろう。


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