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悟るということについての考察 その2


前回の記事である『悟ることについての考察』を読んでみると
なんとも不完全な終わり方で締めているので気になっていたのですが
続きを書いてみようかと思います

読んでないという方は上記からどうぞ

仏教感では解脱すること、すなわち輪廻転生の
魂の循環から退くということが目標点なのですが
味わい尽くしたのちならばそれもアリかな
なんて思うのですが制限が沢山ある肉体を持ちながら
楽しむことは勿論ですが何かを体現することも
ひとつではないでしょうか?

その過程においての悟る(私的には気づくこと)が
さらに可能性が拡がるのではと思います
まず何をするためにここ地球にいるのか
思い出すという工程で、すでに自分自身が
最初から大宇宙の真理そのものを携えてやってきている
魂という存在はそういうものだと気が付くことも
大切だと思うのです

修行は必要なのか?
と聞かれれば、それはあなた次第であり
最終目標が解脱することですか?
と聞かれれば、これもあなた次第です

最近見たYou Tubeで懐かしい俳優さんが
TM瞑想を長く実践されているそうで
瞑想のすばらしさを伝えていましたが
毎日瞑想に沢山の時間を割いているという

わたしもある時期、毎日瞑想をして
長い時間を1日のうち割いてきた
とても気持ちの良いもので
それを三昧と俳優さんは表現していました

わたしたちのイメージでは瞑想三昧は
世捨て人のように捉えられますが
この世にはひとの数だけ物語りがあるので
世を捨てたように見えるだけでそこには
ひとつの物語が存在しているだけです

覚者と呼ばれる指導者であったり
グルと呼ばれる人であったり
修行僧であったり欲を捨てたというひとが
存在していたりと様々ですが
これらの人々もまた物語りのひとつに
すぎないのです

なぜならばここは超個人的な世界であって
どこかで全てが繋がっている
というなんとも、変てこりんな世界です

なのでどうか悟るということや
悟った人というものを視る見方を
いろんな角度から観てみてください

欲を捨て去り修行をして段階を登る
悟りの道だけが悟ることへの方法ではない
ということをご理解いただけたらなと思います

たまたまわたしは瞑想中に起きたことで
気が付いて今に至るわけです
同じような人たちが増えているのも
SNSやネットの世界が拡充していっているからだと
思うこの頃です

悟ること覚醒体験することで
気が付きここから新たに始まり
こころの苦しみや肉体的な痛みは
やはり自分自身が外側からの情報と
意識の、思考の使い方によって引き起こし
それもまた知るため、体験するためのことと
理解できたときに地上もまた天国になる
ということで締めたいと思います

地上天国なんて言うと宗教と思われるかも
しれませんが宗教自体そのものも外側に求める
過程のひとにとってひとつの拠り所にすぎなくて
ここで言う地上天国とは肉体という2極の世界で
魂としての存在を謳歌することです

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