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悟るということについての考察

悟ることは気づくこと
と以前から何度も書いてきています
これはわたし自身が体験したことに基づき
言っていることなので

あくまでも個人の思う悟りであるのです
では世間一般、というよりも仏教界では
どのように捉えているのか?

きちんと仏教自体を勉強してきたわけでなく
仏教でいうところの悟り
再度、確認してみようとネットで調べてみました

岩波の仏教辞典なるものがあるので
その中から抜粋したものを観てみよう

『悟り
さとり[s:bodhi]
迷いの世界を超え、真理を体得すること。
<覚り>とも書く。
<覚><悟><覚悟><証><証得><証悟>などともいい、
bodhiを音写した<菩提>も用いる。
また、漢訳仏典においては、bodhiの意訳として
<道>をしばしば用いるが、これは仏教における悟りを
中国古典における根源的実体である道と同一視するものである。
bodhiは語根√budhに由来し、目覚めることを意味する。
同じ語根に由来する仏陀buddhaは目覚めた人の意である。
悟りは仏教が最終的に目的とするところで、
その絶対性を表すために、阿耨多羅三藐三菩提
anuttarā samyaksaṃbodhiḥ(無上正等覚。
この上ない完全な悟り)という言い方もなされる。
煩悩の炎を吹き消し、輪廻の世界を超脱した
というところから、涅槃や解脱とも同義とされる。 』
(引用元『岩波仏教辞典』第三版より)

ということなので気が付くことなどは
この悟りの境地からはほど遠いらしい

仏教でいうところの悟りとは
大宇宙の真理を悟ることらしい
そしてこれは言葉では語ることができないもの

ふむふむ確かに言葉で説明することは
困難なことでしょう
更に興味深いことに悟りには段階があるようで
悟りの52位と呼ばれて52の段階があるそうです

確かにどれくらいまで到達しているか?
なんて知りたいですよね
最終の段階はどのような状態なのでしょうか

上記の仏教辞典の最後にあるように
煩悩から脱し輪廻の世界から解脱した
状態ということですね

これは唯一悟りを得たブッダの
そこに至るまでの段階に準じて考えられた
52段階ということなのです

そしてその道程は山登りに例えられています
山の頂点を目指すとイメージすると
三角形のピラミッドが浮かび上がります

ピラミッドというものの象徴は
支配とか権力や社会なんかに通じると
感じるのは私だけでしょうか?

2600年の間、仏教は続いてきました
その教えの中には素晴らしいものが
多く、また多くのエピソードによる
言葉も私たちの日常にちりばめられています

例えば『覚悟』ということば
この意味は迷いを去り真実の道理を悟ること
とあります

普段の私たちが使う意味は
あらかじめ心構えすることであったり
あきらめたり観念したりすることが主だと
思います

話しは逸れましたが
概ね悟ることの本質としては解脱すること
煩悩が無くなることというのが本質かと
思うのです

わたし自身にとっての悟りというものの
本質はすでに悟ることで得られる大宇宙の真理
これは誰もがすでに内在し持っているものに
他ならないのです

なのでそこに気が付くか否か
悟りを求めて52段階の山登りをすること自体が
何故故するのだろうか?
と考え込んでしまうのです

わたし自身の体験や経験を通して伝えることは
あくまでも私の物語です
仏教自体もそれはブッダの体験したことであって
他の誰のものでもないのです

そこに同じような体験や意識を見出したときに
共感共鳴するものであって
そこに残されたものは誰かの残像でしかありません

大宇宙の真理を悟ること
すでに生まれながらに平等にすべてのひとに
内在しています

我々の肉体スーツの主である
あなたやわたしである魂は
分け御霊とも言われるように大宇宙そのもの
の完コピ状態でもあるからです

なのでわたしにとっての悟りは
ここに気が付くか否か
ということなのです

悟ることについてはやはり
結論の最終着地点がここに降り立ちます

さてここに辿り着いたならここがゴールではなく
出発点だと気が付きます
ある問が沸き起こります

何をするために?
肉体スーツを纏い3次元地球に生まれ落ちた
その目的は一体どういうことなのだろうか?

若い頃はこの地球に降り立った最大の目的は
本当の自分に出会う旅だと思っていました
そのため一生懸命にほんとうの自分を探したわけです

探してもあるわけありません
無いわけではないのですが
でもそれはすでに自分自身の中に
存在しているので巧妙に隠されているのです

内側と外側というテーマで何度も書いていますが
いまの世間全般は基本的に外側からの情報がわたしたちの
意識と方向を決定しています

この外側の情報で成り立つ世界を存分に
浸って楽しむのも、もちろんありです
それはまるでロールプレイングゲームの
世界を楽しんでいるように没頭します

いやロールプレイングゲーム自体が
この現実と思っている世界の雛型として
創られているのですね

というわけで、52段階の階段を
昇ることもゲームのひとつ
解脱を目指して何度も何度も転生するのでしょうか
肉体スーツを纏った世界を堪能するのが
醍醐味ですね

まあ私なんかは煩悩の宝石箱ではあるのですが、そ
れもまた良しとしています



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