見出し画像

外側と内側

順番的にいきなりここにくるのも

どうかな?

と思うのだけれど、いたしかたない

書くに任せるというスタンスなので間違いないと

自分に言い聞かせ進みます


基本情報

肉体スーツというお話をしたと思うけど

大雑把に、魂(スピリット)と肉体スーツで

仕上がっているわたしたち


これこそが大いなる矛盾の源であるのだけれど

受胎してお母さんのお胎のなかからそれは始まります

外からの情報によって

自分というものが形作られます

これがこの3次元地球上で生きる醍醐味でもあり

ここに生まれ落ちてきた目的でもあるのかな


生れてからしばらくは魂(スピリット)の記憶も

あるものですが、やがて忘却の彼方へといってしまいます

おおよそ肉体スーツのわたしは

いろんな問題を抱えてることでそれを解消していく

というロールプレイングゲームのようなことを

しています

外からの情報とはまず親との関係から始まります

それは感情をべースにした価値観や社会通念を

蓄えていきます

さらには自分自身にとって傷ついたり負の思いなんかも

格納されていきます


イメージとしては

魂というカタマリのまわりに

べったりと、タールのような真っ黒なベトベトしたものが

こびり付いているようなものです

ほんとうの自分に気が付くまでは

この負の要因と一緒くたになった外からの情報で

仕上がった自分がわたし自身として生きているのです


肉体スーツの内側にはずっと魂(スピリット)として

本来のわたしが存在し続けています

ずっとずっと、気が付くのを待っているのです

この人生の目的のひとつが

このほんとうの自分との再会です


いまの僕は。。。

この世界は思考したことが現象として外の世界に現れます

ならば楽しいことをいつも思考すれば良いじゃん

なんて思うのですが

肉体スーツの情報は潜在意識の部分に組み込まれていて

知らないうちにその部分も思考に影響をあたえて

現実には望んでいないことも起きてきます


自分のなかで必要のない情報を削除していく作業が

セッション受けたり自分で取り組んで手放したり、許したり

とかをしていくのですが、わたし自身もほんのつい最近まで

問題が浮上してきては、その問題に対峙するなんてことを

してきました


すべて無くなったのか?


といえば断言はできないのですが、まぁそこそこ

良い感じじゃない? といういまにいたります


鏡の法則

悟るということは気が付くこと

というわたしの考えなのですが

魂(スピリット)というまんまるの球体があって

その周りに肉体スーツを纏っている

もしくは肉体スーツの中心に

魂(スピリット)という球体が存在している

こんなイメージなのかな


外側のせかいを楽しくするのは

内側のせかいが楽しくなることです


自分の内側の世界を映し出しているのが

外側の世界の他人です

そこに観ているものが自分の内面にあるものです

これが鏡の法則


パートナーや親や子供など

身近なひとほど顕著に映し出します


元々の魂(スピリット)により近づくために

外側の鏡を利用することが多いです


拡大していくと

世のなかで起きていることも

自分の内側にあるものがそこに現れています

集合意識という部分もわたしの一部だと理解すると

解ると思います


人生の目的

最終的に内側と外側の差が無くなっていくと

しあわせな世界があらわれるということじゃないでしょうか


内側と外側のせかいがわかると

自分のせかいが変わり始めます

この3次元地球にいること

現実と思っている世界も大事です

魂(スピリット)の世界と現実と思っている世界

このバランスもここで生きる楽しさのひとつです

魂(スピリット)がここで何をしたいのか?

(何をしに、ここに来たのか?)

実現していくことが覚醒へのステップのひとつ


僕は地上天国を創ってよろこびを分ちあうこと

が大いなる目的です


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?