少女漫画と夢女子とフィクトセクシャルの相関性

最近思っていることについて雑語り。
「なんで少女漫画は少年漫画ほど売れないのか」「なんで夢男子は夢女子より少ないのか」「夢女子とフィクトセクシャルの違いは何か」「なぜフィクトセクシャルを自称する人が増えたのか」…という、ネットでよく見かける疑問が一筋に繋げられるのではないかと思い至った。
その理由は簡単に言えば以下の二点。

①多くの女性読者は男性読者ほど同性主人公に自己投影しないから(その代わりに自分とかけ離れたキャラにも「共感」し、その力で読むことができる)
②多くの女性オタクは自分自身と性を結びつけるのが苦手だから

詳しく説明するとこうなる。
①女性読者は男性読者が少年漫画の男性主人公に自己投影するほど少女漫画の女性主人公に自己投影することは少ない。しかし、自己投影しない代わりにキャラクターに「共感」をする。
女性の共感力は強く、異性である少年漫画の男性主人公に対しても行えるし、脇役キャラに対してであっても共感出来たりする。
つまり、女性読者は共感力によって少女漫画も少年漫画もバリバリ読めるが、男性読者は主人公に自己投影したいため、少年漫画しか読まない。結果的に少年漫画の方が女性読者を獲得出来るから両性に読まれる少年漫画がより売れる、ということになるのだろう。

女性が女性主人公にあまり自己投影しない原因の一つとしては、女性の幼い頃からのファッション性の高さにあると思う。
絵本などの媒体のシンプルなイラストで男の子と女の子を並べてみたとする。男の子の髪はショートカットで表現されるし実際の男児も一律ショートカットだが、女児の髪型はロングだったりリボン付けてたりツインテールだったり多様である。だから、男児はイラストの男の子=自分だと認識しやすいが、女児はイラストの女の子を見て、「髪型やファッションが違うからこれは自分じゃない」と思いがちで、それが自己投影の少なさに影響するのではないか……という仮説。
(かなり横道に逸れるけど、漫画ではなくプリキュアやプリティーシリーズなど女児向けアニメだと、テーマカラーの異なる複数のキャラを出しすことで、高いファッション性を持つ女児に推しを選ばせ、自己投影しやすくして没入感を上げる手を使っているんじゃないかとも思う)

ここで夢女子の話に行く。
女性は少女漫画も少年漫画も共感力によって楽しめるのだが、中には「この作品により自己投影出来るキャラがいてほしい」「少年漫画を少女漫画のような目線で読んでみたい」という願望を持つ女性読者も現れる。その願望が二次創作夢作品として現れるのだ。
男性向け作品は自己投影前提で作られていたり、読者同士に自己投影しているという了解がある。だからわざわざ夢男子を名乗る必要性は薄い。
また、女性読者はありとあらゆるキャラに共感出来る能力があるために、モブ視点で作品に介入するパターンの夢作品や、非恋愛の夢作品も多かったりするのだ。
さて、夢女子が作る夢主(夢作品の主人公)には三パターンがあると思う。
A 地味で無個性
B 個性豊かな趣味詰め込みオリキャラ
C 自分自身
もちろん、書き手はCのつもりで作っているがAと見做されていたり、最初はC寄りだったのがだんだんB寄りになっていったり、みたいなケースもあるだろう。Bのキャラが無双するとメアリースー扱いされたりもするね。Aの作品をCのつもりで読むとか、B作品を書いてるけどCでもある人もいるかもしれない。
夢女子だからといって自己投影しているとは限らない。しかし、だからこそ自己投影派は夢女子の中でも肩身が狭くなるんだと思う。A派B派がいる中でCを公言するのは恥ずかしいとか、Cになればなるほど夢作品を公開したくない、他の人の夢作品が読めない、という事情が一部の夢女子に現れる。
そういう夢女子が悩んだ結果、フィクトセクシャルに辿り着くのが一つの道である。

②女性オタクは自分自身と性を結びつけるのが苦手
BLを好む腐女子はもちろん、女性オタクは特に性の自己投影を避ける傾向にある。リアル男性からの好奇の目線を受けたくない、セクハラに対する自衛でもあるだろう。
しかし、性に当事者性を持ちたい女性は、周りの女性コミュニティが性の話を伏せがちなことで、より孤独を深めることになる。であるから、「フィクトセクシャル」という自称をして発信したり繋がったりするのは切実で大事なことなのではないだろうか。

なお、かくいう自分は非当事者だ。昔脳内彼氏を作っていたので元当事者に近いのかもしれないが。なんか失礼なことを書いていたらすみません。

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