ナイジェリアのトランスジェンダー、ヤン・ダウドゥ。

カーラ・パワー[2015秋山淑子訳:256-257]「第9章 イスラム教と性」『コーランには本当は何が書かれていたか?』文藝春秋

私は胸が締め付けられた。同じ週の数日後、ナイジェリアのヤン・ダウドゥの迫害に関する記事(Monica Mark "Nigeria's Yan Daudu Face Persecution
in Religious Revival", Guardian, June11, 2013, p.21.)を読んだときもそうだった。ヤン・ダウドゥは女性のように振る舞う男性のことであるが、それは伝統的サブカルチャーとして定着していたものである。彼らはたとえ夫や父として暮らしていても、スカーフをして化粧をする。長い間これは容認されていたが、記事によれば、ナイジェリア北部に起きたイスラム復興運動は、これを標的とした。性的少数派に対する新たな圧力が生じたのだ。あるヤン・ダウドゥは、ウドゥーを行なってモスクに向かうときにこう言った。「人から「アッラーがおまえを改心させんことを!」と言われると、私は悲しくなります。判断を行なうのはアッラーなのです。だから私たちが人と違っていても、それはアッラーが私たちを異なったものにお造りになったからなのです」

カーラ・パワー[2015秋山淑子訳:256-257]「第9章 イスラム教と性」『コーランには本当は何が書かれていたか?』文藝春秋

記事はいまでも見つかります。写真のかた、パス度高くないですか?
「女性のように振る舞う男性」という表現も、なんだかなあ。。
苦しみは、当事者でないとなかなか分からないのでしょう。
アフリカのイスラム圏も、見ないとダメですね。。がんばります。


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