この映画って「恋愛もの」に入る??
どうも白湯です。
一昨日の夜、寝る前に「レオン」を見ました。
今まで気になっていたけど、見てなかった内の1つの作品です。
むちゃくちゃ面白かった…(余韻)
という見終わった後の感想です。
まず映画の中で、初めてマルチダという少女が出てきたとき美人すぎて驚きます。
映画の途中だけれど、「なんていう女優なのかな」と思って、”レオン”と検索する。
そこには、"1994年公開の映画"の文字。
29年前の映画、私が生まれる7年も前に公開されている…
そしてマチルダ訳の女優、ナタリー・ポートマンは現在41歳。
そしてまた驚く。
「え、マチルダ12歳なの!?!?」
12歳でこの美貌!?
そして12歳だと思いながら映画を見進めると、年齢の若さと、演技の自然さ
にどんどん引き込まれて行きます。
一方で、主人公の殺し屋レオンは、年齢は分からないけど多分40代後半から50代前半くらい。サングラスとかを外すと、思ったより渋いイケおじ感。
でも『「レオン」は恋愛もの』とだけなんとなく頭に入っていたから、マチルダの年齢を知って、「え、ロリコンものじゃん!」とそこで少し引く。
でも見ていくうちに、「あ、これ全然ロリコンものじゃないな」と考えが変わっていきます。
レオンは、殺し屋としてずっと一人で生きてきた。友達は部屋の観葉植物だけ、後は毎日を単調に過ごしている。
一方マチルダは、父親や腹違いの姉から常に殴られ、母親は無関心。心を開くのは、懐いてくれる4歳の弟だけ。
そんな、「歳を取ったけど、心は成長していないレオン」と、
「若くして大人にならなければならなかったマチルダ」の対比に様に受け取れました。
自分以外の家族を、狂った麻薬取締警官によって全員殺されたマチルダは、レオンと共に生活をし始めます。
そして弟の復讐のために殺し屋としての生き方をレオンに教えてもらいながら生活する中で、マチルダはレオンに惹かれていき、そしてレオンも次第に心を開いていく。そして育まれていく純愛。
そんな話でした。
登場するキャラも全員良くて、ストーリーも面白い。
流れるエンドロールも、余韻のせいで、まるで映画館で見た時のようになぜかボート眺めてしまっていました。
でもなぜか気になる点があって仕方ないのです。
それは、
「この映画の『愛』は、ただの純愛か?」
という点。
2人の人間が、恋に落ちて、愛しあって、とかではない。
「恋愛もの」というジャンルでは括れないような、そんな感覚。
マチルダは確かに、レオンに対してはっきりと、「あなたの事好きになったみたい」と発言する。
それ以降は、「キスさせて」とか、「ずっとそばにいさせて」という愛情表現を繰り返す。そして困惑するレオン。
しかし次第にレオンも、明らかにマチルダを「大切な人」として認識するようになる。
しかしこの2人の間の意識の変化は、「恋愛的感情の芽生え」ではないように思える。
マチルダは、レオンに父性を求め、レオンはマチルダに家族愛を求めたのではないだろうか。
レオンには子供や妻、ましてや家族や友達もいない。そしてマチルダは常に幼い弟以外の家族からぞんざいに扱われ続け、その家族さえいなくなった。
レオンの心は未熟なまま。
マチルダも大人になったとは言え12歳。
2人は精神的にはまだまだ未熟なままなのだろう。
レストランで、マチルダがテーブルにのってレオンにキスをしようとするシーン。
キスは、愛情を抱く相手にしたくなる自然な衝動。子供が大人へ変わるにつれ抱いていく感情。キスの願望は大人の階段。
しかしマチルダの、一目も気にせず、ひたすら「キスして」とレオンにせがむシーンはいかにも背伸びをしている子供っぽい。
そして2人が笑いながら水を掛けあうシーンは本当に家族の様だった。
家族からの愛を知らないマルチダは、その家族愛とも言える愛情を、恋人間で芽生える愛情と捉えてしまったのだろうか。
私は映画の考察をしようなんて気はありません。
ただ気になるだけなのです。
もし「レオン」を見たことのある方、皆さんの考えが聞きたいです。
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