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国境を超える焼き芋は、冷めても暖かいまま。


火曜日は塾のバイトが16時半からある。
バイトは21時45分までだから、9時に閉店するスーパーには普段は行けない。
でもその日は冷蔵庫に食料がなく、夕食が作れなくて困った。だから珍しく、バイトの前にスーパーに行こうと思った。

2月後半は平均的にまだ寒いけど、その日は雲が厚く、やや雨が降っている生ぬるい日。湿気が高くて、くせ毛の私は髪の毛を気にしながらスーパーへ向かった。

店に着き、買い物かごを取り、貧乏大学生の心強い味方のもやしを手に取ろうとした。するとレジの方向から、眼鏡をかけた見慣れた女の子が歩いてきた。

その子は同じ学部の、中国から来た、一つ後輩の女の子だった。
2年前に同じ授業を取って、課外授業で神戸に行った時に知り合いになった。
彼女は大学の成績が免除されている程頭が良い。しかし、日中間の関係の悪さや、中国人である彼女が日本にいて感じる、”中国人であり女性である”というマイノリティーな存在に敏感な一面もある。
でも、私のような友人に出会った時に、はしゃぐ犬の様に、笑顔で話しかけてくれる可愛い女の子だ。

春休みに入って1か月と少し経つから、会うのはかなり久しぶりになる。

私はある大学の国際関係学部に所属している。4回生だが、もう春休みなので、あと少しで卒業する。
私の所属する学部は、中国や韓国、アメリカ、ヨーロッパからの留学生が特に多い。しかしエジプトやモロッコ、イスラエルなどの、普段生活していると出会えない国籍の人たちも在籍している、国際色が豊かな場所である。

私がその中国人の女くの子と課外授業で初めて会った時は、まだ日本語が1割も話せなかったような気がする。だからお互い英語を使ったり、私が勉強してかすかに話せる中国語を使って話していた。でもその子が日本に滞在する期間が増えるにつれ、日本語がメキメキと上達していった。

スーパー久しぶりに会って話している時なんかは、会話がほとんど止まることなく日本語で会話をしていた。その子が伝えたいけど、なんて日本語にしたらいいか分からない時、私が英語や中国語で推測して、「そう!それそれ!」なんて言いながらコミュニケーションをすることも無くなっている。「勉強熱心ですごいなぁ」、と思いつつ「少し寂しいなぁ」とも思っていた。

その子の買い物かごの中には、お肉が1パック、ポテチのような大き目のお菓子がいくつか。そして焼き芋が4つ入っていた。

お店の入り口で売っている焼き芋を買っていた。
「焼き芋好きなの?」と聞くと、「ううん、寮に帰ってみんなとパーティするの!」と教えてくれる。

彼女は学生シェアハウスのような寮に住んでいる。今の寮は3つの場所だが、とても楽しく過ごせているようで安心した。前の寮は、同じ部屋のインド人の女の子が、掃除をしないためかなり苦労したと聞いていたから。

来年からお互いどうするの、とか共通の友達は最近元気か、という他愛もない会話をしていた。
すると、もやしコーナーでいつの間にか15分近く話していた。
「そろそろ帰ろうか」と言いさよならをする。
彼女はレジへ行き、私は野菜やお肉を探しに行った。

分かれて5分くらい経ち、お肉コーナー近くを、「何が必要かな」と思いながら見ていた。するとバイバイしたはずの彼女が、後ろから駆け足で寄ってきてまた話しかけに来てくれた。

どうしたんだろう、何か忘れ物でもしたかな、と少し不安になりながら「どしたん?」と聞く。

そうすると彼女は、「はい、これ!」と言って、手提げ袋の中から半分個にした焼き芋を渡してくれた。

急すぎて驚きながら、「え、なんで?」って受け取る前に聞く。
「寮のみんなで食べるけど、分けてあげる!」と言われる。

「ありがとう、家帰って食べるね」と感謝しながら受け取り、自分のエコバッグの中に入れる。

「また何かお返しするね」と言うと、「別にいいよ(笑)、じゃあまたね!」と言いながら帰っていった。

彼女の後姿が見えなくなってからも、少しだけ急な出来事に少しボーっと突っ立っていた。

彼女が焼き芋を半分くれた少し前に、私は引っ越しをしていた。
しかし引っ越す際に、前のアパートの大家と少しトラブルがあった。 
家族にも迷惑を掛けたし、自分もその大家と何度も電話をしていたり、結構落ち込んでいた時期だった。

それに加えて、自分が外国人の友達を、少しアクセサリー化していたという自覚に、自己嫌悪してたりもした。

私の出身はかなり田舎で、大学生になるまでに、出会ったことのある外国人は、学校のALT(英語の時間に、実際の外国人をたまに呼び、生の英語に触れさせるための人)の2,3人だった。

だから大学生になった当初は、「様々な国籍の人と仲良くなった自分」に自惚れていた。そして「自分の英語を上達させるため」に仲良くしている部分もあった。

そういう風に外国人の友達を捉えていると、日本にいて、だんだん日本語が上達する人たちとは、会わなくなった。そして、留学生は9月に卒業するが、そこから連絡を取るのも面倒になったりもした。

そうして、「私は外国人の友達を結局アクセサリーとして見てたんだな」と自己嫌悪になったりもしていた。

そんな引っ越しのトラブルや自己嫌悪になっていたりする時に、彼女がくれた焼き芋で、心のパラメーターがぐんぐん回復しているのが目に見えた。

彼女が善意100パーセントでくれた焼き芋だったからだ。
私が落ち込んでるなど、彼女は到底知らない。
後でお返しが欲しいとかでもない。
日本人の友達だからとかでもない。

ただ単に友達にも焼き芋を分けたかったから、というシンプルな事実にとても嬉しくなった。

「中国人とか日本人とか関係ない、ただ何の意味もないけど嬉しいことを分けてくれるだけで、こんなに嬉しいものなのか」

頭の中のこと感情が言葉になって、やっと私はお肉を選び始めた。


家に帰ってから、一口かじった焼き芋はもう冷たくなっていた。
でも心の中は、彼女が焼き芋を渡してくれた時くらい、じんわりと暖かいままだった。









#元気をもらったあの食事


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