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8月31日の夜に、想う (フルバーストVersion)


(2019年11月にアップしたページの再掲載ですが、見出し画像の変更と、作品解説の後に後日談みたいな話しを追加してます。詩には修正追加はしていません)




夏になるとSNSで流れてくる

“ハッシュタグ 8月31日の夜に” 

ひとり絶望を抱え

何処にも居場所が無い子供や大人が

インターネットに言葉を放つ

いえない傷を 止めどなく流れる涙を

行き場のない怒りを

淡々と打ち込み 送信ボタンを押す

自分がいる証を残すように

多分本当は目の前の誰かに

人に直に言いたい想いを隠し


同じタグで別の誰かが

逃げてもいい でも投げ出さないで

生きてほしい と祈るような言葉を発信するが

当事者には上っ面の綺麗事 なのだろう


言葉だけの世界 すれ違い 空回る


8月が 夏休みが来る前に

“死”を選んだ子供等は

長い間ひとりで耐えていたのだろう

ある子は同級生が気付き助けを求めたのに

先生が断ち切った

絶望は決壊し子等は呑まれ

飛んだ

刺した


同級生は 今 どうしているだろう

どうか しんどくても 生きてほしい

刺された子の母親ははたして

刃を向けられた理由を

理解しているのだろうか


誰の顔も心も見えないまま 夏が過ぎていった




8月31日夜 大人達がホールに集う

連れられて子供も何人か

とあるバンドが40年続いたお祝いに

天井のミラーボールが回り

星々の光を模した照明に包まれた空間

メンバー4人も沢山の観客も

喜びを分かち合い子供みたいにはしゃぐ

曲中にダンスを黒子姿の人々と一緒に踊り

足踏み手拍子でドラムソロを盛り上げ

長いケーブルを持ち支え

ベースの客席乱入を手伝い

懐かしい曲に声を上げ右腕を振り

新しい曲に心を沸かせ

全身で音楽を楽しむ

-昔 死を選ばず この夏50になった私も


大人とて自身で死を選ぶ時がある

望まない終わりを迎える場合も ある

バンドを長く支えてきた人が

数年前に亡くなったと知った

多分50前後 人生半ば位の年齢で

休止を経てバンドが再び動き出した時

「責任持って世間にお届けします」

そう言っていた 音楽を届けると

誰も 言葉にはしていない

けれどきっと

彼と共にこの夜を迎えたかったろう


多分親が好きで一緒に来たのだろう 少年は

乱入し会場を歩いていたベース弾きと出会い

楽器に触ってひと時遊んだ

月曜日に学校に行ったら

この事を同級生に話すのかな

目を輝かせ弾んだ声で

どうか 直に見て感じたものを忘れず

大人になってほしい

遠くから2人を見て想う


昔々 学生の時にコンサートで観た人が

出場したコンテストで審査員をしていて

アンコールされる出会いから

諸々経て自分のバンドに迎え

6年の休みを挟みながらも 29年

同じステージに立ち音を奏でる今を

昔々のそれぞれは想像していなかった筈

-6年目で解散を考えていた時も



終わらせていたら

この夜は無い

断っていたら

また出会う事はあったろうか

どちらも選ばなかったからこそ

今がある

休んでも離れていても

生きていれば

いつか繋がり続いてゆく


世界が不安定でも

暴言を並び立てられても

ひとりきりでも


8月最後の夜は明け9月1日が来る

今日をなんとか乗り切ってと

見上げた空に想いを放つ






数日後 地域のニュース番組が

学生が校内で首を吊ったと伝えた

此れが 現実



今 あの子等を思い出す人は いるのだろうか


届かない 言葉 砕け流され忘れ去られてゆく



今回はサルベージ、過去の話ではなく最近の事を書きました。8月31日、詩にも取り上げましたライブ-CASIOPEA3rdの赤坂BLITZでのライブの帰り、東京駅で夜行バスを待つ間につらつら書いたのを骨組みに、とある公募向けに言葉を組み立ててゆく流れで制限超えるけど入れたい文が湧き、ならnoteにロングバージョン(カッコのはアニメファン丸出しな表現と思ってくだされ(笑))をとアップしたのが今回のになります。公募版より1.5倍増し、そぎ落としたり変更した部分も復活させ締めも書き加え変えました。此方でも#8月31日の夜にの投稿募集はしていたのは知ってましたが、まず公募に出すのが今回の書く動機の一つでした。
今まではさらっと時事問題を挟む位が、今回がっつり持ってきたのは、そのくらい思うところがあった訳でして。 飛んだ子が同じ地方で公募もその地方の某市主催だからもあり、またさらっとライブの連でぶっ込みました文も事実で、二連目が怒り苛立ちが見えるやもしれません。この事は今第三者委員会が調査していると時々地域ニュースで伝えていますが、もどかしい気持ちですわ…。最後に取り上げたニュースも同じ県で起こりました。刺した子の事も児相扱いにしてお終いみたいな感じだし。記事検索したら当事者の個人情報が出ていたのが、その調べ上げる無駄な知恵やら熱意を事件自体を思考する方へ持っていけない脳な人々なんだろうなぁとため息。
ライブを“生”や“今”の象徴みたく描くのは以前からしてましたが、我ながらど直球にぶつけ合わせたなぁと。フルバースト版をやりたかったきっかけはこの流れの「大人とて~」なんです。大人の“死”を織り込みたくなり思い出したのが、氏でして。当人とは全く会話も何も無いままでしたが、昔の仲間がファンだったなぁとか92年にメルボルン行った時にメトロライブの翌日かな結婚式を挙げたと聞いておぉっとなったなぁとか、思い出すことがいっぱい。でも最後に見かけた時は何時だろうと思い出せない悔しさもあったりします。この夜もこっそりいたかな。
ライブは自分は今回、2階で観ていたのでケーブルも少年の件も傍観の視点、でも照明の全景と1階の人たちが右腕を振り上げる光景はホント壮観でした。
通り過ぎるばかりの日々ですが、その時見て感じたものやら、個人的に忘れたくないことを文に封じ込めるのも、私が詩を書く最大の動機、というか衝動そのものだわ。ぶっちゃけ今年の春からライブ観た→そのレポート書く→書く流れ又は観た後で詩が湧き書く、がずっと続いてます、ワハハ。この年末も複数本、カシ三番も含めライブが控えてます。果たして衝動はまた暴走するかは蓋を開けてみないとね。あぁ、エッセイもどきでだんだん長くなってるレポートを次々送りまくっています某ファンクラブさんごめんなさい、とここで書いても読んでないって(汗笑)
その衝動が時に、未来を想う心を潰し一本道の選択しか提示しない現実が、さっき書いた事件であり書き足したラストです。生きていれば未来はあると云うのは簡単且つ絵空事だなと打ちのめされながらも公募版はそれでも、な気持ちを込めましたが、さて。尚、-(ハイフン)を付けた二つの文は追々改めて詩にしてみたい気持ちですが、私情丸出しになりそうに1億点(笑)

と書いた上記までは去年11月中旬ごろ、ここからはその後と再アップ理由について。

投稿版の審査が始まる1月アタマに、万が一コレを見つけ諸々難癖出たらと考え此方を下書きに引っ込ませました。果たして投稿版は賞を取り2月下旬(イベント自粛要請が公に出る前ですが感染が心配でマスクは付けました)授与式にも行き偉い人から賞状をいただきました。しかしもらった記念冊子の自分の詩の評言が自分が伝えたいこととズレていました。式後部門毎に審査員と授与者が語る場が設けられ、その席でわしを男と思い込みライブの件は自分のバンドでのことと思ったと審査員から言われ、がっくりしました、内心。賞取り消しを申し出ようかとも思いましたがこらえたのは、これを反省材料にしてゆこうと決意した次第です。でも凹んだのも本音。解釈がズレるのは捉え方人それぞれだから仕方ないけれど、捉え方の入り口で執筆者の性別も人物像も曲解されてしまったのは、辛かったでしたわ。二重の意味で傍観者の視点で書いたのに、なぁ。気持ちがのめり込み過ぎたんやろうか…。
下書きに戻したのを今回再アップしたのは新たな投稿向け作品を書いていて、此方の更新が暫く止まってしまうのもあかんなぁと思い、完成してはいるのだからとまず此方を又。トップ画像はnote内のから自分が当時撮ったものに変えました。作品自体投稿版もフルバースト版も伝えたいことを書けて気に入ってはいます。とはいえ空回りしてたかな、という気持ちもまだあり反省を込めてもあります。でも今書いている作品もライブのことだったり。どストレートにライブの楽しさや熱を今後も描いてゆきたいです。そこは貫きたいですが、なるべく客観的に、ファンの気持ちで描いてゆきます。はい。