【MTG】その灯火が阻まれぬ域にて【昔話】 第二話
【前回までのあらすじ】
1999年、高校生の頃MTGを拗らせていたハルタカ少年は引退から10年経過してMTGに復帰。20代後半、独身を謳歌していた。実家からの圧力を華麗にかわしながら……。
EDHを知っていますか?
インベイジョンブロックでの引退から約十年。
闇の隆盛にてMTGに復帰し、緊張していた初のFNMも無事デビューすることができました。
そんな中での、他のプレイヤーたちの古びたカードたちの饗宴を眺めていたら、鹿児島MTGコミュニティーの総長であるジャッジのMRTさんにそのように問われました。
自分でも復帰する際にある程度のフォーマットの確認はしてきたつもりであったが、EDHに関しては殊更にわからず。
盤面に目を向けると、4人で各々が普通より分厚い山札を使用していて、多分使用しているカード的にはクラシック環境(※現在のエターナル環境に該当する呼び方)でありそう。正直勝敗のルールもよくわからず、しばらく試合の様子を眺めていました。
試合後に統率者戦(EDH)と呼ばれるフォーマットだと説明され、いくつか簡単にルールは教えてもらいました。
自分が選んだ伝説のクリーチャーをリーダーにして
そのクリーチャーの色縛りか無色のみで99枚のデッキを組んで
3~4人で遊ぶ
昔のカードも使えるけど、一部禁止カードがある
一番気になったのは昔のカードが使えるという点。先ほどの闇の天使セレニアもそういう類のカードです。ただお世辞にも当時でも構築で使われたカードとは言えず、なんでまたそんなニッチなカードを使っているのか疑問に覚えました。
その答えはすぐわかりました。
Repay in Kind / 等価返し (5)(黒)(黒)
ソーサリー
各プレイヤーのライフの総量は、すべてのプレイヤーのうちで最も低いライフの総量になる。
セレニアの起動型能力を複数回スタックに乗せてライフを払い続け、その後等価返しを唱えると、一気にすべてのプレイヤーのライフが危険水域まで落ち込みました。後で知りましたが、このデッキはライフ入れ替え(ライフの平等化)を図った後、自分はケアしながら黒死病やのたうつウンパスで対戦相手のライフを削り取るというコンボデッキでした。
今思えばMRTさんのデッキは異質です。
当時よく使っていたMRTさんのジェネラルは闇の天使セレニアとMarton Stromgald。後者に至っては、ピンとくる人は日本のMTGプレイヤーでは5%未満な気がします。
古の伝説のカード。赤いオーバーラン的なジェネラル。
MRTさんのおかげでEDHのルールは大方わかりました。その後、自宅でEDHのデッキが組めないかを考えます。そもそも復帰したばかりの自分にカード資産なんてそんなに持っているわけが・・・
いや、実はあてがあったのです。
仄暗い部屋の隅から
あてがある。
それはむかしむかし、子供机を処分して、ありったけの幼き日の思い出を仄暗い部屋の隅においやった一角……実家の押入れの中に、高校の頃まで遊んでいたカード資産が残っているはずでした。
遊ぶ相手がいなくなり、シャッフルすることもなくなったカードたちはひっそりと押し入れの中に眠っていました。それらを精査する日が来たのです。実のところ、EDHを調べていくうちに、あるカードの価値に気付いて焦っていました。
ガイアの揺籃の地とポータル三国志の各種カードです。
前者は弟が緑単ストンピィを組んでいたので、4枚揃っている可能性が高く、後者は高校時代の友達を誘って1パック150円(定価300円のパックだが、人気がなくて当時は捨て値で売られていた)で買い込んで遊んでいたのを残していたのです。
後日発掘されたポータル三国志のブースターの山。友達と遊ぶために買ったまま忘れていた捨て値ブースターがまさかウン十万の価値に化けるとは……。(ポータル三国志以外の絶版ブースターは復帰当時、趣味で集めていたものです。開封動画をするのが憧れで集めていたけど結局やっていない……)
こうして押入れの奥深くにそれはありました。ゲームぎゃざの雑誌とポケモンカードゲーム(所謂旧裏面)の山と一緒に封印されていたそれはまさに高校生の時、灯火を失った私のレガシーでした。
ついでに見つかったポケカ(旧裏面)がノスタルジーを漂わせる……
無造作に段ボールの中に仕舞われていたカードたちの多くはスリーブもつけず、湿気と埃にやられているものも多かったのですが、当時使用していたデッキやレアカードの多くはプラスチックのケースに入っていたので比較的状態は良好でした。
弟とガチもんの喧嘩に発展したタングルワイヤーも
当時20円だったのが今でも理解できない怨恨も
魏呉蜀とみんなでカードをシェアして遊んだポータル三国志も無事に・・・
……あ、魏と蜀だけ全然残ってない? 実は友達と国ごとに分かれてシェアしあったせいで、魏と蜀……つまり魏=黒(伝国の玉璽)と蜀=白(戦争の犠牲)などの強カラーカードが当初手元にありませんでした。幸いMTGを一緒に遊んでいた同級生が地元に帰ってきており、久しぶりの飲み会でそのことを伝えると彼は格安でそれらのカードを譲ってくれました。
こうして僕は、EDH初心者でありながら、魔力の櫃や古えの墳墓、ガイア揺籃の地といった高額なマナ加速と、伝国の玉璽や各種教示者、アカデミーの学長といったいにしえの高額なカードを持った超絶ちぐはぐEDH初心者プレイヤーとなったのです。
しかし、根本的な問題としてジェネラルがいませんでした。かつて高校生だった僕の主戦場はウルザ、マスクス、インベイジョンブロック。当時の事を知る人なら問題点に気付くでしょう。そう、ウルザブロックとマスクスブロックはマルチカラーカードが存在しないのです。いわゆる「単色の時代」でした。
山より使われたと言われるすべての元凶
そうなると多色カードが豊富なインベイジョン・ブロックに期待しますが、この頃には通っていたお店が潰れる直前だったので、たいして資産も持っておらず、インベイジョンのカードは殆ど役に立ちませんでした。
せっかく強いサポートカードはあるのにジェネラル候補がいない。
暗雲立ち込める中、僕はストレージの中から物凄く傷まみれのカードを1枚見つけました。
アルカデス・サボス――なぜか持ってたレジェンドの生物。
多分高校生のときに誰かがトレードか何かのおまけでつけてくれた、つまり糞レアです。お世辞にもカードパワーは強くありませんが、EDHをする上で大切なカラーパイはある程度満たしています。このトリーヴァカラー(死語)で適当に強そうなサーチやドロー、ネットで見かけた無限コンボを少し足して完成。
初EDHデビュー戦は殆ど何もできず終了。
強いカードが全く生かしきれない……。冷静になればシナジーも何もないデッキなわけで、EDHを何も理解していないデッキだったので当然の結果です。
「そんなバニラドラゴンでデッキ組んでくるとか、ほかに足りないエルダードラゴンがいたらさしあげましょうか?」
変態デッカーMRTさんに煽りなのか誉め言葉なのか判断しかねる、ありがたいお言葉を頂きつつ、翌週もちっともいいとこなく虐殺され続ける僕に見かねたのか、MRTさんが同じトリーヴァ……バントカラーで強いジェネラルを用意してくれたので、ありがたく頂戴しました。
Phelddagrif (1)(緑)(白)(青)
伝説のクリーチャー — フェルダグリフ(Phelddagrif)
(緑):Phelddagrifはターン終了時までトランプルを得る。対戦相手1人を対象とする。そのプレイヤーは緑の1/1のカバ(Hippo)・クリーチャー・トークンを1体生成する。
(白):Phelddagrifはターン終了時まで飛行を得る。対戦相手1人を対象とする。そのプレイヤーは2点のライフを得る。
(青):Phelddagrifをオーナーの手札に戻す。対戦相手1人を対象とする。そのプレイヤーはカードを1枚引いてもよい。
4/4
MRTさん、控えめに言って頭がおかしい……
というかドSすぎるやろ。なんでこんな初心者にこんなカードでデッキ組ませようとするの? 何かの適性検査か?
しかし僕はこの空飛ぶカバを使いデッキを真面目に組み始めてしまったのです。深淵を覗くものは深淵にウンタラカンタラって感じにね……。
カバと変態
困ったらまずぐぐれ。MTGだって例外ではありません。僕はEDHを調べました。するとEDHに関する著名な書籍に辿り着きました。
情報に飢えた地方在住EDHプレイヤーを陰ながら支えた小冊子。
この本を頼りに、そしてネットの散発的な情報を調べながら試行錯誤し、変態デッキで勝ち続けるMRTさんの動きを観察しているとあることに気付きました。
1.相手に干渉するカードを取っている
つまるところEDHはパーティーゲームだし、自分のしたいことだけを優先したデッキ構築を考えていました。ただ、それだと先手有利すぎるし、そもそも自分のやりたいことに辿り着く前に、妨害が少し介在するだけでテンポ的に致死的なレベルでした。ある程度相手も減速させる術が必要だと痛感しました。要はガードを固めろってことです。
2.アドバンテージを取れる手段を取っている
教示者カードは1枚分のカードアドバンテージを失うという欠点を持っています。それなのに自分のドローカードは天才のひらめきみたいに重たいものやCIP生物に依存したものばかりでテンポが悪い。即興性の高いサーチに重たいドローエンジンの組み合わせは、飯盒で炊いたご飯をコンビニで買ってきたファミチキをおかずに食べるぐらい(・A・)イクナイ!!です。
ハンドアドバンテージを得なければ、土地も十分に伸びないので試合が長引く程、行動が制限され、テンポロスに繋がります。普通はフラッド受けになるはずの統率者も、僕の場合「サボスちゃん、今日もサボってるね」という糞ギャグが浮かぶぐらいのひな壇芸人でしたから虚無でした。
美味しいものも食べる組み合わせは考えもの
(でも筆者が一番おいしいと思うファミチキの食べ方は、仕事終わりに小腹がすいて我慢できずに車の中で食べるときです。車内が絶望的に油臭くなるけど冒涜的に旨いゾ!)
3.ジェネラルに依存している
つまりはEDHは程度の差はあれ、シナジーを考えてデッキを組まれているといえます。僕のはただの闇鍋デッキ。そりゃ勝てません。ところで「闇鍋のサボス」って書くと鉄鍋のジャンっぽい?
4.仕掛けるタイミングが絶妙
MRTさんが仕掛けるタイミングは、大体誰かが悪いことをするのを防いだ後。つまり、皆が全力で目立った杭を叩いた後という消耗しきった段階でコンボを仕掛けてくるのです。ヘイトを稼がず、地盤固めをしっかりしてから仕掛けてくるというEDHの王道をMRTさんは徹底していました。基礎ができているからこその変態だったのです。
つまり、僕も基礎を固めた変態を目指す必要があるとわかりました。
身近にお手本がいたので、そこからは自分が何をしたいのかを考える段階にシフトしていきます。
まず僕が一番好きなものを考えたら、それは間違いなくエンチャントです。高校生の頃からパララクス補充やキメラが好きで組んでいました。バントカラーは比較的エンチャントレスに向いている色です。繁茂や肥沃な大地をペタペタ貼りながらドローを進め、最後はパリンクロンで無限マナ。そのためPhelddagrifを無限マナの捌け口にして勝利してやろうと画策したのです。相手にメリットを享受させるこの起動型能力を逆手に取ろうとしたわけです。
このカバは天才のひらめきだった?
「mayじゃないですか、それ?」
そんな目論見はすぐに破綻します。MTG復帰したての僕には突っ込みの意味がわかりませんでしたが、つまるところこのカバの青い起動型能力のドローは強制ではありませんってことです。引きたくないなら引かなくてもいいよって、そんなバナナ(注:お読みのnoteは令和2年のものです)
エコーの支払いを巡ってレスポンチバトルを繰り広げていた高校生の僕が聞いたら「mayは任意だからせんでもオッケーよん」とか言われたら「この反社会分子がァー!!」と思いそう。いや思わないけど。
「エコー支払い忘れましたよね?」で始まる戦争が昔はあったのだ。
しかし、コンセプト自体は手ごたえを感じたので、そこからエンチャントレスを研究し、MTGwikiでエターナルウインドというアーキタイプを知り、ソフトロックと無限マナを兼ね備えつつ、カバのトークン生成(こちらはmayではなく強制)を利用してドルイドの誓いからエンチャントレスクリーチャーかアカデミーの学長、パリンクロンをサーチするといったデッキに変貌します。踏査などの追加土地を出すカードのルール変更前だったので、動き出せばそれなりに強いデッキでした。今でも組みなおせば、それなりに楽しいカジュアルデッキになると思います。
引退期間中に活躍した名デッキからデッキアイデアをインスパイアされるのっていいですよね。
ちなみにカバ自身は、意外とまともなジェネラルでした。
というのも、実のところ政治色の強いカードでもあったからです。相手に塩を送る能力は、誰かの生殺与奪に関与する可能性を秘めています。
誰かに回答となるカードを引かせたり、チャンプブロッカーやライフを与えて首の皮一枚で助けてあげたり。逆に誰かのライフが危険域に陥った場合は異なる対戦相手にトークンを大量に押し付けて殴らせて退場させることもできます。
こういう駆け引き的な面白さに気付けたのも、カバのおかげです。
意外と強かったカバ
銀英伝のフェザーンみたいな姑息なジェネラル。最初はムーミン村に帰れよとか思ってごめん。奥が深いよ、EDH。
まさかMRTさんはそこまでわかったうえで僕にこのカードを……
ここまでくると普通に勝つことも増え、次第にEDHの楽しさに目覚め始めます。……いや、違いました。ジョニーとしての血が沸き立ち始めたのです。僕のMTG歴史の中で最もMTGが楽しく、MTGに入れ込んでいた時期はここから始まっていくのです。
そして迷走もここから始まるのです……。
※ちなみにEDHの過去を振り返るなら、この動画シリーズがわかりやすいです。
GP北九州2013に至るまで
さて、話はEDHから離れます。
2013年のグランプリスケジュールが発表され、2013年夏にGP北九州が行われることが告知されました。グランプリ。高校生だった僕が憧れにしていたあのグランプリですって? イエスだね。大型大会が地元九州で行われることが決定したのです。
2019年も2020年も忘却の彼方に消え去った幻の舞台、GP北九州。
来年こそは本当に実施してください……。
初めての大型大会にテンション爆上がりの僕は仕事を頑張って3連休を取り、一人遠征へと出かけて行きました。そう、一人でね。
当時はまだ地元のプレイヤーたちともMTGでしか打ち解けておらず、たまにMTGが終わった後に食事に誘われたけど、いそいそと帰っていました。EDHしてるから友達が増えた? コミュ障はね、ゲームのときだけ距離感近くなるのに、ゲームの外ではコミュ障に戻るんですよ。フシギダネ。
何度でも言いますが、基本が陰キャでコミュ障でヒッキー気質なので、カードショップに行くのも勇気がいる男が、そこで知り合って間もない人たちと食事に行くだなんて一種の圧迫面接ぐらいのプレッシャーがあったわけです。帰りの車の中で、ぐるぐると「ああ、やっぱりみんなとラーメン食べに行きたかったなぁ」と後悔しながらも、明日も仕事だし早く帰って寝ないとダメだよねとか、心理的防衛に入る我が身のなんて小さき心の器のことよ。
そんな僕なのでGP北九州2013は「ぼっち」で行くことにしました。
鹿児島でも一部の人が本戦参加しているとは知っていましたが、FNM以外では殆ど接点のない人たちです。宿も友人の家か最悪ネットカフェに転がり込めばでいいやって感じで考えていました。休みだけは取った。男一人、何とかなるだろう。
そんなアラサーネカフェおじさんこと、我が半身たる陰キャの時系列を少し遡りましょう。
僕がMTGに復帰したのは闇の隆盛からです。つまり2012年の春頃。ここからGP北九州2013(8月の終わり)までは約1年半程度のタイムラグが存在します。側頭部を斜め上60度から叩きつけても記憶は簡単に蘇ったりはしませんが、diarynoteを結構マメに書いていた時期なので、想起しやすいのはありがたかった。
DKA発売(復帰直後)
スタン……赤単ウィニー
EDH……アルカデスサボス(という名の産廃)
AVR~M13発売
スタン……青白(タッチ黒)奇跡コン、赤単ゴブリン、緑茨潰しランデス
EDH……空飛ぶカバ、黒ミケウス
EDHするのが楽しすぎ問題。FNMが終わるのは22時頃なので、そこからEDHやらドラフトをするわけですが、お店が閉まるのが深夜3時。我が家から片道1時間かかる店なので帰るのはいつも深夜4時頃でした。寝坊するという理由から、翌日仕事の日は真冬にも拘らず床で寝るという苦行を毎週していた。あとドラフトの楽しさに気付く。高校生の頃金銭的にも友人の数的にも絶対できなかった憧れのレギュレーションがドラフトだった。大人になった今なら負けてもそんなに悔しくない。だからすごくハマった。周囲からは「過去最大級につまらない」と評価されていたAVRドラフトだけど関係なかった。一回も全勝できなかったが楽しかったな。
RTR発売(M12とミラディンの傷跡ブロックがローテ落ち)
スタン……バントミッドレンジ(思案が落ちたので奇跡コンは諦めた)
静穏の天使と修復の天使、スラーグ牙にスフィンクスの啓示。これらのワードで一部の人は発作を起こすかもしれないぐらい粘り強いデッキが多かったのでミッドレンジ環境でした。通販でデッキパーツを揃えるのが当たり前になってきた時期。僕も初めてゲームデーでベスト8に残れました。なお、この時点でFNMは未だ全勝したことはなかったです。
GTC発売(2013年突入)
スタン……黒緑群れネズミ、バベル
群れネズミデッキってなんだよ・・・。ゲームデーで好成績残せたんだから素直にバントミッドレンジを頑張ればいいのに、何故か横道に逸れる。ジョニーあるある。この群れネズミにドハマりしたことが、後々致命的な病気を発症する原因へと繋がっていくとは知る由もない。
ほぼ4枚積みのスタンダードデッキです。総額は考えたくない。
あとここ数年自分の代名詞だったバベルというアーキタイプに手を出したのもこの時期からです。この悪癖のせいで、ことあるごとに鹿児島の人たちにバベル組めって煽られるんですが、幸いなことにパイオニアは機知の戦いがイリーガルだったのでホッとした。
さてこの頃、初代モダンマスターズが発表されました。モダン熱が鹿児島にも波及し始めたのもこの頃。ZENフェッチランドの価格が高く、参入の壁になっていました。(でも今よりは安いです。沸騰する小湖でも3000~5000円ぐらい)
モダン大好きすぎてフェッチ集めが趣味になるおじさん(結局4枚ずつ残して全部売った)
2013年4月にはトレカのお店でも土曜日のスタンがモダンの大会に差し替えられました。ここからしばらくの間、九州で鹿児島といえばモダン熱が高いという謎のローカルイメージが構築されていくのです……。
DGM発売(2013年春)M14発売(2013年夏)
スタン……バベル
EDH……上記に加えてゼガーナ、メイエルなど(デッキ5種類以上あった)
モダン……赤青ストーム
完全にスタンは暗黒面に堕ちたようです。どっちかというとEDH廃人になってジョニー街道まっしぐら。
トリプルスリーブにすると、比較対象が一升瓶になる。
6月には初代モダマスが発売。当時はみんな1パックの値段にビビッて地元では緩やかに売れていたので、僕は小銭をぶち込みまくって買い込んでいました。モダンは赤青ストームを組んでいました。サイドボードで赤アクローマを変異させてひっくり返すという謎コンボを狙っていたから負けてた記憶しかない。とにかくモダンが楽しい時期だったのは間違いありません。
そしてM14発売。これにより最大のカードプール環境となったスタンですが、その中でも燃え立つ大地がこれまでの環境に待った!をかけました。
安易な多色デッキをころころする
燃え立つ大地はラヴニカの回帰ブロックでガバガバ三色デッキが横行していたのを完全にシャットアウトするだけの環境制圧力がありました。つまりここにきてスタンのメタゲームが一気に変わろうとしていたのです。
そして変わり谷の再録。
モダン需要もあってM14再録前は5000円ぐらいの高額カードだった。
これまた実績あるパワーカードである変わり谷がスタンに与えた影響も大きく、色を絞ってでも4枚入れるというデッキが出現し始めました。
そして極めつけはこのカードの再録。
漁る軟泥。
統率者セットが初出だと知る人も今では少なくなったと思いますが、このカードが静穏の天使+屈葬の儀式の最強パッケージを持つリアニメイト環境に与えた影響は凄まじいものでした。
パイオニアリーガルの最古たる基本セット2014ですが、このようにカードパワーの高い収録を多数抱えています。そんな中で始まるグランプリ北九州2013です。上記のカードを上手く使いこなすキブラーグルールやパワーカード満載のジャンドミッドレンジなどが有力視されていました。
キブラーグルールは1マナエルフを満載した高速ビートダウンデッキ。ストーリー上は不遇だが、カードはいぶし銀のドムリくんが活躍します。
対抗馬として有力だったジャンドミッドレンジ。「かがり火ゲー」と呼ばれるご都合大火力で対戦相手をキレさせるのが得意。そうじゃなくてもヴェリアナ・狩り達・スラーグ牙とパワーカード多すぎて王者の風格たっぷりのデッキでした。
果たしてグランプリ童貞卒業の僕が持ち込む記念すべき初デッキは……。
と、文字数が7000字超えて長くなってきたので今回はここまで。
次回に続きます。
※前回の更新から時間がたちすぎたので、今度からはもう少し早く更新できるように頑張ります。
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