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ヴァイオレット・エヴァーガーデン劇場版感想(ネタバレ有)


愛してるを知りたいのです。


友人たちと鑑賞。見に行く前から絶賛しか見ないコメントと「バスタオル必須!」みたいなメッセージに、期待に期待を重ねて鑑賞してきました!


ですが。

え……思っていたほどじゃない……

というのが私の正直な感想でした。もちろん期待のハードルを上げすぎたことも、私自身の読解力が足りてないこともあるのでしょうが、自分で抱いた感想は唯一無二な物なので、とりあえず、私の思ったままを綴ります。

以下ネタバレを多分に含みます。割と辛口なコメントが続くので、何でも許せる方のみご覧ください。
決して批判、否定をしたいわけではないので、
こういう意見もあるんだな~、そういう受け取り方もあるんだな~くらいでお願いいたします。






✉泣けるということ

去年やってた劇場版の外伝も映画館に見に行きました。その時はアニメを視聴してる途中で、少し齧っただけの俄か丸出し状態の中視聴をしたのですが、大号泣でした。
それと比較するわけでは全く無いです。
それに、今回の劇場版も泣いたのです。泣きました。号泣でした。ハンカチを大いに濡らしたんです。
でもさ、待って、根本的に

泣けるからなんだっていうんだ?

なんというか今回の映画、脚本を練る段階で「泣ける映画にしよう!」ってそこを重点としてプロットを練ってしまったんじゃないか?ってくらい、泣かせ方が雑な気がしてしまった。
だってまず、人の生き死にに関わる話で人を泣かせようってのが「ずるい」じゃん、って話だと思うのですよ。
そりゃ泣くでしょう、病気で余命わずかの少年が、残される家族の為に手紙を書く。若い身空で、死にたいわけもない。そんな少年が弟に向けて「自分の代わりにたくさん甘えて」なんて。さらにその男の子の息を引き取るシーンまで描けば、そりゃよっぽどの鉄の心じゃない限りうるっとくるわよ。それで「号泣でした!」って。そりゃあ、「うん、そうだね」としか、返せない。

典型なお涙頂戴ではなく、
キャラクターを救う為の展開が、結果「泣けてしまう」
ヴァイオレットエヴァーガーデンはそういう演出が出来るアニメだと思っていたので、そこに少しがっかりしてしまいました。

✉話の必要性

少年の話は確かに、悲しくも切ない美しい話だった。それは違いない。
私がとても引っかかっているのは、じゃあ果たして「これをストーリー上に組み込む意味があったか?」っていうところ。
兄弟のエピソードによる少佐と大佐の感情に近づくところとか、全く不要だったなんてことは思っていない。
でも、私にはどうしても組み込む意図が読めなかった、読み切れなかった。だからこそ余計に、これじゃ、ユリスは都合よく殺されただけじゃない?という捻くれた感想を抱いてしまう。

少佐に会うために、遥か遠い離島に行くことを選んだヴァイオレット。そんな絶海の孤島とも言うべき場所に居る最中、指切りをした少年ユリスが危篤だという連絡が来てしまう。

ここでヴァイオレットが、少佐と少年を天秤にかけ、その結果少佐に会うことを諦めてライデンに帰宅。少年の最期の願い、指切りの約束を叶えて、きちんと見送ったならば。それは間違いなく描く意味があったことだと思う。ユリスのエピソードの必要性を感じれたと思う。

アニメでずっと描かれてきた、ヴァイオレットにとって『唯一無二の少佐』という存在をかなぐり捨て、彼女が自分の意志でやるべきことを選択した、っていう明確な演出だから。いわば殻を破る、成長の一幕を描き切るわけだから。
そして、もしその選択をしたならば、もはやヴァイオレットは少佐とは会わないのが自然だ。選択とはどちらかを選び、選ばなかった方を捨てる、っていうことだから。ユリス少年、つまり自分のドールとしての仕事(未来)を取るなら、少佐という(過去)は捨てる。だから、この選択をするならば、作中、少佐に会わずに終わるか、若しくは少佐からヴァイオレットに会いに来るべき。
だからこそ、最後は少佐の方からヴァイオレットに向かって駆け出す訳だけど、それにしては全ての演出が中途半端じゃない??

まずね、結局少年の危篤に現地に向かったのは、ベネディクトとアイリスなんだよ。友人に向けて手紙を書くって約束を守るため、雨の中必死に走ったのはアイリス。「ヴァイオレットの代理で来た」って本人も言ってた。それはさ、指切りを守ったことになるの?
遠くの島に行っていて、物理的に来れなかったヴァイオレット、代理が来るのは仕方がない。それを責めるわけじゃない。でも、じゃあなんでその演出にしたのか、って話なんだよ。
少年が友人と最後に会話する役目は電話が果たした。そしてその電話を繋ぐお手伝いを最後まで頑張ったのもアイリスでしょう?あんなに丁寧に指切りをして、「私のお客様です」って胸を張って言ったヴァイオレットの立場は?

だからどうしろってわけじゃない。でも結局これで最初の疑問に戻るんだ。なんであの少年の話を入れたの?そしたら結局辿り着くのって「泣けるエピソードを入れたかった」に尽きてしまうんじゃない?そんな理由であの少年がある種殺されたのだと思うと、なんか苛立ちさえ覚えてしまう。都合よく消化されてしまっているというか、なんというか…。
前述した通り、選択はどちらかを捨てること。この演出と展開ではそれが十分に生かし切れてないと、そう思ってしまった。どちらにも都合よく手を伸ばしているようにしか見えない。指切りの意味合いが大分軽薄になっちゃったなぁ、っていう印象を受けました。

✉クライマックス

ヴァイオレットから少佐への決別も中途半端なら、その後、少佐からヴァイオレットに会おうと思うフックも中途半端だ。あまりにも弱い。
島に到着し、ホッジンズ社長が訪ねた少佐は、もう戦争を思い出したくない、穏やかに暮らしたい。ヴァイオレットとは会いたくないと、拒絶する。ヴァイオレットの生活を台無しにしたのは自分だ、合わせる顔がない、そう話した少佐の言い分は分かる。
けれど、その話を社長から聞いたヴァイオレットは「私は、会いたいのです」って、少佐の家に駆けだす。
これさ、アニメ1話ごろのヴァイオレットならきっと「少佐がそう仰るなら」って引くと思うんだ。それを少佐が望みのなら、命令なら、って。
でもドールとして仕事をして、いろんな人に触れて、人として成長した今のヴァイオレットだからこそ、きちんと自分の意志を吐き出して、駆け出した。「愛してる」の意味がわかるようになったヴァイオレットだからこそ。

今だからこそ言えた「私は、会いたいです」なんだよ。
この一言は、すごくすごく重い。でも雨の中で悲鳴のように告げたそんな成長の輝きさえ、少佐は拒絶する。
ならばそれ以上の何かが無いと、ヴァイオレットの下に駆け出す釣り合いがとれないんだよ。アニメ12話分の思いを込めた「私は会いたいです」を拒絶したんなら、それ以上のフックが無いと。
そこに強さとか説得力が欠片も無い!

兄と話し、手紙を読んで、少佐はヴァイオレットを追いかけた。けどさ、いや、ヴァイオレットの手紙の内容、ほぼ昨日の雨の中で言ってたことと一緒だからね!?という気持ちになるわけですよ。
むしろ手紙より、直接言葉で伝えたことの方がよほど重たいでしょう!?お人形のように命令だけをこなしてきた彼女が、初めて自分の意志で何かがしたい、って言ったわがままにも近い大事な成長。
それを一番傍で見てきて、一番わかっている筈の人が、容赦なくぶった切っておいてよ?本人のあの悲痛な叫びにも拒絶したのに、手紙であっさり絆されるってどういう神経してるんだ?ってなもんですよ。少佐の心のスイッチが私にはさっぱりわかりませんでした。

そして最後の指切りシーンの一枚絵。
いや、作中、指切りの約束守れてないじゃない。というツッコミはもはや野暮ですね。そんな大事そうに入れられても…ちょっとズレてやしないか…と…そう思ってしまいました…。

まとめ

相変わらずの映像美で、水、風の描き方、建物、音楽、何もかもが本当に美しくて。何だかんだぐだぐだと呟きましたが、もちろん楽しませては頂きました。ただ、引っかかるところもどうしてもあったよ、っていう話なだけ。
どうしてもヴァイオレットの成長を拒絶した少佐が許せなくて…その辺りから頭沸騰させながら見てたので、見落としとかもあると思います。あくまで、ただの一人の戯言めいた感想文です。
来場者特典の小説もいただきましたので、落ち着いてからゆっくり読もうかなーと思っております。