(小説)夏の思い出(第三話)
第三話
句会
「月橋さん、武佐波さん、天密さん・・・」よばれた人から、選句を言わな
ければいけない。
美恵子は十句のうちの三つ目の句をどちらにするか、決めかねて、シャープ
ペンシルをカチカチと鳴らして考えあぐねていた。書き終わると同時に
「新免さん・・・」呼ばれた。
「梅雨の月 黒白つけず 天におり」
自分の作った俳句の中から選句することもできる。鬱のなかに沈んだ自分の
俳句の中から、寂しい俳句を選ぶ。幾人かは、私の句を選んでくれるだろう
か、心が期待する。
その期待は当たった。先生が、美恵子の句を選んだ人がひとしきり
独自の感想を述べた後、これは「こくびゃく」なのではないでしょうか、
普通は「こくびゃくと読みますからね」と、「くろしろ」と読んだ人の誤り
を正しい読み方に直してくれる。三人の人が選んでくれたことに、ほっとし
た。
三人のほかの人がどんな風に受け止めてくれたか、わからないが、俳句初心
者だった美恵子が自分の心のうちを俳句に託してそれを誰かに披露できるこ
とが、うれしかった。一通りの人が選句とそれをえらんだ理由を言い終え
た。先生は満足そうにひとつひとつに、先生の解釈と感想を述べて二巡目の
作業を促した。
今度も美恵子は家で考えて記してきた俳句を小さな紙に書く。
「ゆらゆらと 湯豆腐のかげ 暖かし」
「公園の 小さき松を 友とする」
自分の鬱の最中の心境は、ありのままの心の絵のように、文字になった。
鬱屈した寂しい気持ちを俳句に浄化させるような感じである。
だいたい十人の他人の書いた俳句のなかから今度は好きな二首を選んで書
き、自分の選んだ理由も添えた。
「わが魂(たま)の ごとき光れり 葉の上の露」
美恵子の心境にも同じことが言えた。頭の中にあったことがうまく言い表さ
れていて先を越されたような感じがした。しかし、こういうものはシンクロ
しているものだ。もう一つのセミの俳句もそうだった。
「雨戸開け 蝉の音きく、 今日も生きん」
人はほとんど同じようなことを考えるものなのかもしれない。ただ、同じ状
況にあったとして、どんなように心の底で感じているのか、そこは違うはず
である。しかし、それさえも自分と似ているのか、似ていないのか、わかり
たい。その気持ちが美恵子には強い。
それが俳句にすると誰かも自分と同じ気持ちでいることが偶然わかる。それ
を見つけられた時のよろこびは、生きることの淋しさを偶然共有できたよろ
こびなのだ。
(第四話へつづく)
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