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夏の思い出(第五話)

HEART BEAT

今日も佐野元春のハートビートが流れている。


美恵子は自分の就職先を考えあぐねていた。


それは学校の教師になるかどうか、であった。大学四回生の夏、学校の教師

になるのか、塾講師になるか迷っていた。その時、思い浮かんだことがあっ

た。それは、小学二年生の時の担任である、杉盛先生に会って、相談をする

ことであった。早速、小学校に電話をしてみた。学校の事務局の女性が、折

り返し電話をくれるということであった。別の小学校に転任してかなり時が

経っているらしかったが、連絡がつくと言われ、ほっとした。数日後、杉盛

先生から電話があった。美恵子は将来のことで、相談したいが、どこかで会

うことは可能か、聞いた。すると、杉盛先生は、自宅に来てくれるとのこと

だった。


美恵子は母親に一応の確認もせず、家に来てもらうことにし、日時

の約束をとりつけた。母親は、わざわざ家に来てもらうなど、先生に申し訳

ないと思ったらしかったが、美恵子の性格上、思ったことはすぐ行動に移さ

ないと、後悔する、ということを普段から考えていた。周りがどう思ったか

は別として、そうしたかったので、今回はそうすることにしたのだ。


そのころは、みな就職先を探すのに躍起になっていた。複数の業界にわた

り、名の知れた企業に照準を定め、自己PRや履歴書を作るのにも熱心であ

った。

美恵子は普通の会社勤めは性格上合わないだろうと感じていた。

教職なら、大学時代の塾講師のアルバイト経験もあり、自分に向いていると

いう確信はあった。


大学の教職課程も取っていたが、教師になることがどれほど大変か、

本当のところを先生に聞きたかった。生の声を聞いて、それで大変だときけ

ば、諦めもつくだろう、そういう消極的な気持ちが大いにあった。塾講師よ

りも、教員の方がより聖職なのだという思いもあったからそれを諦めるのは

どうかと思っていたのだ。そのような、私的な相談も受け入れてくれそう

な、杉盛先生は、美恵子の中で唯一の信頼できる教師であった。ひどく懐か

しい気持ちもあったし、情熱をぶつけても受け止めてくれる確信があったのだ。
 

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杉盛先生は、エリッククラプトンに似た風貌で、髭を生やしていた。四十を

過ぎていたとは思うが、頭髪は年齢のわりに薄かった。独特の低い声で、7

50ccのバイクに乗っていた。ライダースジャケットを着て学校にくるの

で他の教師とは一風変わっていた。


美恵子が小学二年生になったばかりの時、先生はクラス全員に対して朝夕の

ランニングを課した。

そのランニングというのが、1年かけて、校庭を1万周走るという目標であ

った。もちろん、その時はみな驚いた。


しかし、意に介さず先生はグラフを作って、教室の後ろに貼った。


みんなは自分の名前のところに赤鉛筆で、一マスずつ方眼

用紙に自分の走った分だけ塗りこむのが大好きになった。いつ、どれだけ走

ってもいいという自由性を確保していたことが、みんなのやる気を鼓舞し

た。そしてグラフは競争しながら伸びていき、友達に負けまいと、またたく

まに天井についた。


みんなが走ろう、走ろうと意気込んで、その目的を一年

かけて達成していった。


ところが、一年後に一人だけ目標に達しない子どもがいた。


その子は、生まれつき足が悪くてみんなと同じことは叶わなかった。


先生は2年5組の全員が目標を達成した暁に、近所の山にハイキングに連れ

ていくと約束していた。


みんなは自分たちが必死で毎日頑張ったので、一人でも、目標に達しないの

は少々不本意だった。雨の日にも風の日にも寒い冬の日にも走ることをみん

なで頑張っていたからだ。しかし、その子も頑張って

いたのである。


1万周には届かなかったものの、その数字の近くまで走れて

いた。話し合いの末みんなは彼女の頑張りを認めて、先生もみんなが認める

のなら、と認めて、全員が達成できたとなった。


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そして、3月の春休みにハイキング行きは決行となった。


700m程度の低山ではあるが、みんなはランニングで、かなり体力がつい


ていた。そして、そこに行けるということが何よりも

誇らしくうれしかった。崖にロープがつるされているところを登ったり、一

本丸太の上を何とか渡ったり、簡易な道のりではなかったが、小学二年生が

多少の危険を冒しても、やればやれるという自信につながることを示してく

れたのであった。


一言でいえば、厳しさの中に愛のある先生だった。

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また、野菜の植わった畑をグランドの裏に作ってくれており、そこに生徒た

ちにも、種から育てさせて、収穫までするということもさせてくれた。体の

小さい美恵子にとって、大きなジョーロを持って行って水やりの当番をする

ことは大変ではあったが、そういう課外活動をさせてくれる先生はほかには

なく、様々な経験と人間としての大切な基礎を教えてくれたのであった。

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信じられないことに、先生は、学校から少し離れた、個人経営の農園に自

分の畑を数区画借りていて、そこにも、きゅうりやトマトなど何種類もの野

菜を植えていた。そして夏の暑い休日に2年5組の親子全員を呼んで、野菜

を収穫する企画をしてくれた。美恵子と母親もそこに足を運んで先生の好意

で野菜を収穫して話をした。そして、その時に水で洗いもせず「かじってご

らん」と先生に言われてとれたてのきゅうりを食べたのだ、その、みずみず

しかったこと。その味は一生忘れないものとなったのである。それだけでは

ない。放課後には、週に何度か有志でサッカーをするために、学校の隣にあ

る、市営の広大なグランドを借りていてくれていた。美恵子は積極的に参加

していたわけではないが、このような勉強以外のクラスワークにも力を惜し

まず、ひとりひとりの生徒の可能性を広げてくれる先生であった。


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杉盛先生は母親の出した冷たい麦茶を丁寧に両手で持って飲みながら、「久

しぶりやねえ。お元気ですか?」と、昔より少し年齢を重ねた髪の毛を直し

ながら言った。美恵子は15年ぶりに先生を突然呼び出すなんて、申し訳な

いな、と内心感じ始めていたが、その気持ちを打ち消した。先生の方も、少

し恥ずかし気ではあったが、美恵子のことは覚えてくれていた。「あのクラ

スはみんないい子だったな、妹さんの希恵は元気かな?」先生は生徒を男女

とも下の名前で呼ぶ。妹の希恵は二年後に担任で教えてもらったのだった。

「はい、元気です。」「国語の先生になりたいみたいだけど、好きな作家は

いるの?」「太宰治です。」「太宰治かあ・・」少し微笑みながら先生は灰

谷健次郎の「太陽の子(てだのふあ)」の話に話題を変えた。太宰治のこと

は先生にしてみれば関心があったわけではなかったのだろう。しかし、あの

頃も、灰谷健次郎の物語を取り上げて色々大事な話をしてくれた。先生の一

言一言にその頃と変わらない人間としてのあたたかみを感じた。傍に美恵子

の母親もいてくれたことで、なんとなく明るい雰囲気で雑談交じりの話もし

ながら、和やかにおしゃべりは進んだ。母親とほとんど年が変わらない先生

は、年齢の話やその世代にしかわからないことを母親と共有して笑って話し

ていた。しかし、時を経てかつてのエネルギーのようなものがほんの少し翳

っていることが残念に思えた。


ひとしきり世間話が終わると、本題に入った。「本気で教師やりたいのか?

だな。正直に言うと、やっぱり大変だよ、

美恵子にはなかなかできないと思う。今は教育現場は変わってきたからね、

親側の姿勢も昔とはかなり違うから、その辺はあるよ。」「自分でも決心が

なかなかつかないし、自信もなくて。。。」


美恵子はそのあと、同級生の同じ名前の田村美恵子と先生が年賀状のやり取


りをしていること、そして田村美恵子も小学校の先生になることを決めてい

ると先生から聞くのだった。田村美恵子のことを先生はかなり買っているよ

うだったし、美恵子にとっても、しっかり者でスポーツ万能の田村美恵子に

はかなわないと思っていたのだから、仕方がないことだが、比較されたよう

で、少し腹が立った。


美恵子の中でも小学校の教師はすべての教科を担当しなければいけないのだ

から、それは難しいしやりたくないことであったが、そのことについては黙

ってぼんやりとさせていた。実際には小学校や思春期の中学生がいる中学校

よりも、教育実習をする予定の高校の教師の方を現実的に考えていた。

しかし、いまだ明確になっていないぼんやりとした理想と自分の実力という

現実のはざまで先生に会って、教師の道を断念しようと考えた。



そして、それがきっかけで、ようやく決心がつき、


塾講師の道を選ぶこととなった。その後は、東京の塾へ泊りがけで、面接に行った。


また、関西圏の塾を調べて、募集をかけていないかと一校ずつ電話をかけて


いった。その間、アルバイト先の塾で、そこで実際に働く塾長にも相談した。

塾長は、女性はこの仕事はやめた方がいい。きつい。と言った。


しかし、美恵子は意外にも、まったく意に介さなかった。


自分を信じていたからである。


そしてブルーハーツの「月の爆撃機」を聴いてさらに自分の道をしっかりと


見極めて、士気を高めて面接をどんどん受けていったのだった。


美恵子にはその先にある、銀色のまっすぐでキラキラ

と輝く道が用意されており、そこに自分がいつまでも情熱を抱え続け

られるなどということは、いまだ知る由もなかったが、未知なるものに対す

るとてつもなく幸福な気分を持続していった。


そして隣の県の中規模程度の塾に内定が決まったのである。

(第六話につづく)
 

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