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学歴・仕事・特技競争に疑問をもった日

友だちに自慢できる学歴
友だちに自慢できる仕事(職種)
友だちに自慢できる特技(趣味)

こういうものが学校を卒業すると、話題にのぼりやすい。
○○さんは○○なんですね。すごいですね。
ということがわりとある。
特にあまり会わない人(親戚や昔の友人)とたまに会うと、
こんな話題になることも多い。

では、学生のときはどうだったのか。

☆たわいもない芸能人のこと。
☆昨日のテレビ番組で面白かったこと。
☆野球観戦で興奮したこと。
☆ユニークな担任の先生の話。
☆日常あったほんわかした出来事。

「友だちが楽しめそうな話をえらんで
共有できたらいいなあと思うこと。」
こういう話題なら、喜んでくれそうだな。
っていうことをおのずと考えていた気がする。

大人になったら、なぜ変わってしまうのだろう。

「自分は人に認められたい」の気持ちが先行しすぎて
相手(受取る側)を喜ばせたい、共有したい。の
気持ちは0に近くなってしまうようである。

ずっと毎日顔を突き合わせるわけではないから、
自分をよく見せておいた方がよいかも。
どう思われても、自分のことを印象付けられれば
今回のランチは成功。

そんな風にも思える。。。

では、巷で横行するこれらの話題
学歴・仕事・特技以外で私自身何を大切に
思っているのか、改めてこれを機にかんがえたくなった。

こどもの時から、親が学歴・仕事・特技を重要視する人だった。

それに違和感があった。

私自身、特技や学歴に自信をもつ面もあったが、それをことさら
人にほめられたいからやっているわけでもなかったからだ。

真面目にやっていただけ、という感じだ。

しかし、大人になってから、学歴・仕事・特技がある人だけが
ほめられ、普通の話題だけではなにか個人をいまいち認めない空気、
という風潮・人が多いし、なぜそうなるのかは、わかりやすいものに
飛びつく、という人の性質によるものなのだろうか。
それなら、なぜ子どもの時には特技・勉強以外のことがらが
友だち同士を結び付けていたのか。

などに疑問がわく。

はっきりした結論はないけれど、
わたしにとって大切なものは、人生の核となるのは
何をしていようと、思いやりのある人なのか、どうか、だったりする。

もちろん、わたしも、三浦大知の特技(ダンス)に惹かれるわけだが、
その性格(思いやりがある)ところを含めて、さらに好きで信頼できる
ということがある。

巷の大人も、へ~○○なんだ、すごい~
という話題(賞賛・アピール・自慢)をいったんやめてはどうか。
そうでなく、昨日○○を見たんだけど、面白かったんだ~
から、おしゃべりを始めて欲しい。
もっと仲良くなれるはずだと思うよ。

共感してくれる方がいるとうれしい。


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