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『もののあはれ』と西洋からの贈り物


世界初の長編小説を書いたのは日本女性という事実


日本史の授業で習ったことをうっすら覚えていらっしゃる方も多いのではないかと思うのですが、世界で最古の長編小説は『源氏物語』だと言われています。
つまりこの地球上に人類が誕生してから、最初に『長編小説』を書いたのは日本人女性だということです。

このことについて改めて「英語やフランス語のサイトなどにはどう書かれているのかな」とふと気になり、色々検索しておりました。

やはり外国のサイトでも世界最古の長編小説と多くのサイトで説明されてることを確認し、この日本からそれが生まれたこと、そして書いたのは紫式部という日本女性だった、ということに改めて日本人としてとても誇らしい気持ちになりました。

私はフランス語と英語でしか検索していないのですが、世界最古ということについて一部異論もあるようで世界最古の心理的な小説と書いているサイトなどもちらほら見かけました。ただ何れにせよその存在の偉大さは私が見た限り否定の余地がないようでした。

今、久しぶりに『源氏物語』を読んでいるのですが、匂いや音、色彩や空気の質感・・・それはそれは美しい日本語の五感の表現と、心理描写、つまり『もののあはれ』に改めて深く心を動かされています。
またそれは私にとって日本語や日本の風土・文化の美しさの再確認でもあります。

「もののあはれ」とは、四季に移ろいゆく風情や男女や親子・友などの間の情愛や離別、哀惜などによって生じる、しみじみとした情緒や気分をあらわす言葉です。「もののあはれを知る」ことは、深い洞察力によって“人の心を知る”ことであると述べています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E3%81%82%E3%81%AF%E3%82%8C
(こちらのリンクはWikipedia)

徳川美術館HPより

西洋は東洋よりすごいのか

 私自身、かつてヨーロッパに憧れ、住んでいたこともあります。
日本とはまた違う街並みや言語、生活・・・とても美しいものです。

そして、今の私たちの便利な生活があるのは、西洋における自然科学の発達があったからこそですし、自然科学の発達には唯一絶対神を置くキリスト教の影響があったからあこそ・・・とヨーロッパ諸国における技術や文化のお陰・影響であることは明白です。

18世紀の自由思想家たちの努力を経て、19世紀になると、「知(scientia)は、神の意志を知りその栄光を讃えるためではなく、人間に現世的な幸福をもたらす能力(potentia) を備えたものとして世俗的に追求されることになった」ことは事実である。しかし、そこにも唯一絶対神を上に戴く傾向は潜在的に認められる。つまり、論理的整合性を持った唯一の統合されたシステムによって、自然現象を(ひいては人間の現象も)理解できるはずだ、あるいは、してみせるという強い意図にそれが表されているのである。そこには、真理はひとつ、正しいものはひとつ、という強い確信がある。


西洋近代に確立された自我は、自分を他と切り離した独立した存在として自覚し、他人に対して自立的であろうとするところに、その特徴がある。このようにして確立された個人を英語でindividualと表現する。つまり、これ以上は分割し得ざる存在ということであり、その個人を成立させるためには、物事を分割する、切断するという機能が重要なはたらきを持つことを示唆している。〜中省略〜 このように他と切り離して確立された自我が、自然科学を確立するための重要な条件になっていることは容易に了解できるであろう。

岩波書店『宗教と科学の接点』 河合隼雄著

また、平均的に西洋人の方が肉体的にも東洋人より、大きく強靭な感じもありますし、あるいは歴史を振り返っても、西洋の国々がその圧倒的な力をもって他の地域•民族を支配してきた事実があります。
それ故に、「東洋は西洋より劣っているのだろうか」という疑問に一時期苛まれなことがありました。

その中で、私が一縷の答えを見つけ出しのは、分析心理学(ユング派心理学)を日本に紹介した学者として知られる河合隼雄さんのご本の数々で、特に上記引用をさせていただいた『宗教と科学の接点』は私の葛藤にひとつ着地点を与えてくださいました。

「決してどちらが劣っているでも優れているでもないのだ」と頭で理解するではなく、腑に落ちてきていた最中、源氏物語はその腹落ち感を更に深めてくれたように思います。優劣ではなく、すべての国や地域もそうであるように、日本もその文化もとても奥深く美しく唯一無二の場所でなのだ、と。
(日本の文化、といってもこれまた地域・時代など幅広く、色々と論争もありますが、今回はその辺りはご容赦ください。)

ひとつの花を見て「花びらが五枚」と言えば、それは普遍性を持つ。しかし花と自分の距離が近くなり、「美しい花」と言ったり、「寂しげな花」と言ったりするとそれは普遍性を持つとは限らない。

岩波書店『宗教と科学の接点』 河合隼雄著

私が現在日々お世話になっているフラワーエッセンスはもちろん、アロマや西洋占星術は西洋から来たものです。それゆえ、それらさえも「私は結局西洋のものばかりをしている。。」という葛藤が今も全くないわけではありません。
でも体系立て、自身と対象を分けて考察することに関して、おそらく他の地域の人類より長けていた西洋の方達が残してくれてきたものを、敬意と感謝を持って学びつつ、『もののあはれ』を大切に深めていきないなと感じています。上記の河合隼雄さんの文章で言う、普遍的な見方と、でも花と私(あるいは星と私)そんな距離の近い私だけの感覚を大切にしたい。

もののあはれ


冒頭にも書きましたが源氏物語を読んでいると、当時の人たちの季節の移ろいや、花々の美しさや香り、月や星や空の美しさや変化に対する繊細な美しい感性に本当に胸がいっぱいになります。
以下私がその美しさに心震えた文章の一部です。紫式部はもちろんですが、訳者の瀬戸内寂聴さんがとても美しく現代語訳してくださっていることに感謝です。

室内には、空薫物がほのかに漂っていて、仏前の名香の香りも部屋に匂いみちています。その上、源氏の君のお召し物にたきしめた香までもが、風にただよい送られてきますのが、とりわけすばらしい匂いなので・・・・・・


数珠が脇息に触れてさらさらと鳴る音が、ほのかに聞こえてなつかしく、やさしい衣ずれの音がする気配も、いかにも品がいいとお聞きになるのでした。

講談社文庫『源氏物語 巻一』 瀬戸内寂聴訳

このような美しい表現を読んでいますと、「どんな音なのだろう」「どんな香りなのだろう」と本当にトキメキとともに想像が止まらなくなります。

現代とは比べようもないほど娯楽も少ない中で、花鳥風月の微細な移ろいや美しさ、あるいは底知れなさに心動かされる毎日のなかで、そのエネルギーと自然と共鳴していたのでしょうね。

私も、身近に咲く花や、いつも私の上に広がっているけれど毎日違う空、月や星・・・エッセンスやアロマの小瓶や占星術の論理はもちろんですが、そういった『もののあはれ』を、しみじみと感じて日々過ごしていきたいです。






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