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社会問題に向き合いたいと思った心の動向

こんばんは
久しぶりのnote

お陰様で仕事がすこぶる忙しい
嬉しいような
何だか切ないような
複雑な面持ちです。

たくさんの人に出会い
刺激を受ける毎日。

今日は娘と夫と
少し離れたホームセンターへ買い物へ

夏休みの自由研究の材料探し
お目当てのものを見つけて
キャンピングコーナーや
百均が立ち並ぶコーナーで
わちゃわちゃと他愛のない会話をしながら
過ごす時間が
何だか久しぶりで
はしゃぐ娘に
我慢をさせているんだろうなと
少し申し訳ない気持ちを感じつつも
自分のしていることと家庭を経営しながら
仕事を両立させていくことを
心の中で葛藤している自分に気がつく

夜勤の後で
暴走している食欲を満たす
ファストフード
このバーガーのバンズと野菜とビーフのバランスについて話したり
デザートを何にするかでもめてみたり
帰宅して襲ってくる眠気に勝てず
家の片付けや夕食の準備までエネルギーが持たず寝落ちしてしまう

ここまでして
どうして社会問題を解決したい思いを解消するために行動するのか

そんな自分の心の中が気になって
文字起こし


私が何を社会問題として捉えているか

子育てのスタートに立ち会う私。
生まれるまでは
産めるのか不安になる人を励ます
現代医療では
ヤブ医者に当たらない限りは元気に子供を産める周産期死亡率の低い日本。
だから、よっぽどなことがない限り
命を落とすこともない。

私も何人も死んでしまうのではないかと思う現場に立ち会っては、トラウマを癒しながら仕事をしてきた。

人って強いんだなと感じる反面

自分を揺るがすような性被害や産後うつや家庭内の不和によって精神を病んでしまう人々に出会うたびに、家庭という踏み込みにくい社会に何もできず無力さを感じて過ごしてきた。

私自身も、夫という構成員と娘二人と家庭という社会を創り上げるにあたって、こんなにも人と人が理解し合うためにたくさんの知識が必要なんだなと痛感しながら過ごしてきた。

自分以外の人は他人。

自分が産んだ人間でさえ
想像つかない瞬間が多くある中
どのように家庭という空間の中で
それぞれの過ごしやすい環境を
作り出す事ができるのか
物思いに耽る時そんな事ばかり考えていた。

このコロナ騒動やロシアとウクライナの戦争から
各国が輸入を差止めたり
それぞれの国で頑張りましょう的な
脱グローバル化が
日本でも、各家庭で!と分断されるような
雰囲気に
自分のことは自分で守っていける知恵が本当に必要なんだなと痛感させられる。

経済力さえあれば
知識を得たり専門家の力を借りることだって容易いのに、本当に支援の必要な人にはそれが行き届かなくて、いい環境とは言えない中で育った子どもは秩序に嫌気を刺して感情を憂さ晴らしするような奪略や暴力によって支配できるものに喜びを抱く。

そんな不条理さの中で
こんなちっぽけな私に何ができるんだろう
私の力が何かを成し遂げられるのか
そんな疑念もあったけど
そのサイクルが小さな家庭一つから変化させていけるのであればその波紋が地域を変えていけるかもしれない
そんな暗雲に見える小さな希望の光を手繰り寄せながら進んでいる。
確実に見える光の点が大きくなっている
そんな暗示をかけながら
ハードなスケジュールを熟す

どうせいつか死がくるなら
その時まで
どれだけの光を手繰り寄せられるのか
見たいと思った。
宇宙のブラックホールに投げ込まれたら
きっとそんな風に映画を完結させるだろう

人には希望が必要なんだと思った。

そんな生き様を
子ども達が背中を見て
どう感じ取ってくれるんだろう

何も益の出ない事に笑うだろうか

私が私を見つめた時に
自分に
目に見えない事に豊かさを感じられる自分を誇りに思うよと話しかける自分もいれば
人にこんなに騙されたり、頑張って、応援してるって言葉に調子乗ってるんじゃない?と語りかける自分自身がいる中で
やっぱり最後に選ぶのは
明日死んでしまうとしたら
どう生きたい?
これに尽きる

だからこそ、自分を騙さない生き方を選ぶ

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