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見えない世界

オスカー授賞式におけるアジア人へのリスペクトのなさ(と捉えられてもおかしくない所作)が話題になっている。

当該部分の前後を含めて授賞式の映像を確認した。

なるほど、SNSにおけるアジア人や日本人の反応として
「差別的行動だ」
「興奮してテンパっていたに違いない」
などといったものが見受けられたが、意見が割れる気持ちも分かる。
われわれ日本人は自らの受ける人種差別に対し理解度が浅い傾向にあり、特に著名人の行動とあらば偶像に当て嵌めたくなるのであろう。

私の所感としては
何百万人に見られる場であるし意図的な行動ではないが、根底にある意識(ない意識)が行動として発露した結果であり、それをリスペクトがないものとして非難されるのは仕方がない。
といったところ。

いわゆる「透明化」による差別そのものである。

ただ私は、彼ら彼女らに対する非難の気持ちはまったく持たない。
というのも、透明化やそれに類する行動は社会の構造に起因しており、個人の問題として落とし込むことに意味を感じないからだ。

私が勝手に言うところの、見えない世界問題である。

マイノリティ尊重の風潮が高まる昨今ではあるが、これはマイノリティ側が声をあげ、発信し、抵抗してきたからこそ起こり得たムーブメントだ。
知らない・見えないことには対処できない。
アンコンシャスバイアスは知っている世界に対する無意識の偏見を指す。他の世界のことは守備範囲外なのではないだろうか。

私たちが、自分自身の意識の外にある世界に対して差別的な行動を取ってしまうことをどうして知ることが出来ようか。

こう考えを巡らせると、誰でも一つの簡単な結論に辿り着く。
今の世の中、知らないこと自体が罪であり、あらゆる背景情報を知った上で差別的な行動を取らないよう気をつけるべき。

D&Iに関する世の動きは、この考えに基づいている部分もあるのだろうと思う。

何も人種間に限ったことではない。
声をあげ、存在をアピールすることの意義はここにある。

さて、となるといつもの私の議題に繋がる。
都市と地方(=お金持ちとその他)の格差の問題である。

常々私の課題感は
都市のお金持ちは地方の非お金持ちに対する解像度が極めて低いこと(、というより実質的に存在を認識していないこと)
にあった。

的外れな政策が多いのもこれが一因であると考えている。

欧米において、アジア人が、現状黒人に比べて発信力に劣り、結果としてマジョリティの意識下になく、差別に関する議論の俎上に載せられにくいという今回の例と同じなのではないか。

アジア人は発信する力も影響力もある。
これから少しずつ欧米世界が変化するかもしれない。

一方、地方の非お金持ちは存在を知らしめるために行動を取ることも発信することもなく、影響力はほとんどゼロに近い。
都市のお金持ちの知らない・見えない世界が広がっている。苦しんでいる。
しかしその存在は認知されず、世界があることさえ意識されない。この点においては人種間の問題よりも困難と言える(少なくとも他人種の存在自体は認知しているという点において)

つまり私の為すべきことは
都市のお金持ちに、地方非お金持ちが存在していると声をあげ、どういう差があり、どういう課題を持っていることを発信していくことなのだなあ。

などと思った。

あなた方には見えない世界が、見えていない世界がある。 覚えておいて欲しい。
もちろん私にも見えていない世界がある。
覚えておこう。

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