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空想「新しい本屋の形」

こんな本屋さんはどうだろうと空想しました。

本は押しつけがましいものじゃない。本屋さんを訪れてまず気づくのは、出版不況を叫ばれて長いのに、圧倒されるような数の本のタイトルが私に迫る。
 本を読まない人からしたら、この数の多さに怖気づいてしまうのかもしれない。本好きからすると、ああまだこんなに私が読んでいない本があると思うのだが。
 本は、誰かに選ばれたものを読まない方がいいと思うのである。
 選書された本というのが、私は好きじゃない。だってこんなにたくさんの本があるのに、なぜ自分で読みたい本が選べないのか。だから、本が嫌われてしまうのではないかと思うのだ。私は、国語の教科書に載っていた本の中に私のベストはない。
 本は開かれないと、意味をなさない。受動的ではなく、能動的に選ぶ方が、読む行為につながりやすいし。そうした本の方が好かれるんじゃないか。
 出版不況というより、本は押しつけがましいいものだと思われるから、嫌われたのではないかと。本は嫌われたから、売れなくなったのではないかと。
 今日、本屋さんを訪れて、どんな本が置いてあれば、買うだろうかと考えた。
 私が思ったのは、選んだ人の顔が見えない方がいいと。だけど、興味のある本に出会うために、本屋を歩いて回りたい。ベストセラーもいいけど、知らない本にも出会いたい。
 だから、大体の選者は決まっていても、姿を見せないで欲しい。
 そこで私がこんな方法はどうかと思った形を勝手に発表させていただく。
①    本屋さんでまず本を買ってもらう。
②    そして、その買ってくれた人がおすすめだと認定したら、認定権登録する。書店に置く。
③    おすすめが認定された本を誰かが買ったら、おすすめした人に新しい本を買えるポイントがつく。
④    おすすめする人は、推しの本屋さんに登録する形でも、フリーでもいい。

このシステムを採用すると、どういうことが起こるか。顔のない選者が読んだ本が本屋さんに並ぶ。押しつけがましくないし、本屋さんには、誰かのおすすめの本が増えていく。
 段々に地域差や個々の書店の特徴が現れてくるのではないか。
 おすすめされた本を買って、自分でもおもしろかったら、最初におすすめした人のコメントが任意で見れるようにする。

 本は、まず自分で出会い、読みたいと思ったものを読むのが一番いい。
 選書は、あくまで参考にする程度が私はいいと思う。
 本を選ぶときにどんな風に選んでいたかと思うと、好きな作家のおすすめの中で、自分で読みたいと思うものを本屋さんや図書館で開いてみて、手に取り、選んできた。
 今では、棚を見ているだけで、なんとなく自分の好みがわかるようになった。
 それこそ読書や本屋巡りの楽しみではないかと思ったから、これを書いています。

(おしまい)

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