空想「100円ショップに見る本屋のめんどくささ」
一つ断っておくと、どれだけ本が本屋に置いてあっても、私は、めんどくさいと思わない。
逆にわくわくする。
しかし、生活力の乏しいというか、なんか適当に生きている私は、100円ショップをめんどくさいと思ってしまう。
テレビで、「これは便利ですね」と知っても、ちっとも便利さがわかってない。
こないだは、風呂の排水口の髪の毛をキャッチするものを、2種類買ってきた。「どっちが便利かわからない」からだった。
100円ショップでS字フックを買いに行っても、何種類もありすぎて、頼まれたが、どれがいいのかわからず。
「こんなに買ってきたの?」
と言われる。つらい。
今日、ちょっと大きな100円ショップに行ったけれど、欲しいものをメモしていったのに、途中で探すのがめんどくさくなって、もう小さい100円ショップで買うからいいと諦めた。
100円ショップには、本当に「便利」「テレビで紹介された」「店員一押し」のジャンルで分けるのではない売れ筋だけを集めたコーナーを。その中のものを買っていけば、家族から賞賛されるような棚を作って欲しいという願い。もうあるのかもしれないけど。なんかジャンルで分けられると、どれがいいのかさっぱり私にはわからないし、物の多さに圧倒されてしまうし、探すのが、何しろ大変だから。
これと同じことが、もしかしたら、本屋さんに行かない人たちにも起こってるのかなと思ったので、これを書いてます。
で、本屋さんの話に移るわけですが。
本当に多くの本が出版され、本好きは、なぜ本が売れない?と頭を悩ませ。
だけど、多すぎて、どのコーナーを見ればいいのかわからない問題が発生しているのでは?と考えた。
つまり、本を全部同じ種類と分類するからである。
だから、話題になった本ばかりが売れていき、選書しなければならなくなるのかと。
誰にでも得意な分野はある。苦手な分野もある。
私は、本屋に行き、どこのコーナーをチェックするか大体の感じが決まっているし、図書館でも、調べもののときは、猿とかの資料を見たりするけど、ほとんどこのコーナーに新しいもの入ってるかな?と眺めるのが楽しい。
古い本なら、図書館を探すし、新しい本で、付箋を貼りたいような、ずっと持っていたい本なら買う。
だからきっと私の頭の中には、本を選ぶある程度の基準というものが自分の中にできているのだと思う。
友達に、空間や美容に詳しい人がいる。そういうのを聞きたいときは、その人に聞く。化粧もほぼすべてその人に教わった。
人には不得意、得意があるものだ。
そして、詳しいものには、きっと人はアンテナを張りやすい。
じゃ、その基準やアンテナのない人が、本屋で本を買うという行動に移るときは、どんなときなのだろうか。
きっとめんどくさいと思われたら、やってこないだろう。
でも、本を読んでみたいという思いは、誰にでもあるんじゃないかという希望も捨てずにいたい。
話題本は売れたりするのだから、読者がいないわけでもない。
本を読まなくなった人が、再び本屋を訪れる。
それは、楽しみなことなのだと提案することで、SNSなどで、文章を読んではいるのだから、世界からすべての言葉が失われたわけではないと思いたい。
何か問題にぶち当たったとき、問題を解決したいとき、自分のいる世界に絶望したとき、誰にも言えない悩みを抱えたとき、本ならば、別の世界を見せてくれるから、きっと自分の視点で考えていた世界が、少し広がって見えると思うから、本屋はなくならないで欲しいなと思うということが今日、言いたかったのでした。
先日、こうやってnoteで書くようになったのだから、電子書籍も買ってみようと、資料を買ったのですが、どうも頭に入ってきません。書きながら、読みやすさとはと考える日々です。
つらつらと本屋について語りました。空想というより、現実のことでしたか?
(今日のところは、おしまい)