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受験

おっす、松谷だ。

世間は受験シーズンのようですね。

とはいえ齢40に近づくワタクシ、受験は遠い過去の話です。

ですし、受験とかって思い出すだけで胃がキュッとなるというか、そもそも選ばれる立場に立候補して落とされるって体験って何でもイヤですよね。

オーディションとかショーレースもそうですけど、いやだなあ。選ばれるより選びたい。

そう、みんなイヤな受験ですが結局受験を乗り越えてもそんな機会は今後人生で山のようにあるんだから諦めてやるしかないんですね。

それの連続だなー、ふむふむ。

今日はそんな受験にまつわる話を。

僕は高校の時に美大に行きたいと思ったのですが、その考えに至った理由はやっぱり僕はマイノリティー側の人間という意識が強かったからです。

美術大学というところなら、僕みたいなもんでも受け入れてくれるんじゃないか。

そんな期待を抱き(これは入学すると打ち砕かれるのですがそれはまた別のお話♡)僕は両親に相談したのです。

中学くらいまでは割と優等生(側)だった僕ですが、あまり学校に意義を見出せなくなって問題行動が多くなっていたので、両親は目標が見つかったならそれは良い、と割とあっさり応援してくれました。

ただし条件が。

「美大に行くなら、おじいちゃんの許しを得ろ」と。

そう、僕の祖父は東京美術学校(現東京芸術大学)の工芸科出身の漆工芸家なのです。

その祖父の許しを得ろと。

とはいえ孫なのでまあすぐいいじゃないか的な感じになると思って会いに行きました。

ところが祖父は猛反対。

「美大なんか行くな。そんなところに行っても食べるのに困るだけだ。」

結構厳しくも孫には優しい祖父だったので、ど真ん中で反対されてびっくりしました。

「ちなみに何科に行きたいとかあるのか?」

僕は当時、ファイン系(油絵とか彫刻とか)に興味があったので、そっち方面がいいと思ってるという話をしました。

「ダメだ。やるならデザイン科にしろ。それ以外は認めん。」

そう言われて、そこまで深く考えてなかった僕はデザイン科にする事に。

今思えばデザイン科で良かったです。今後、コンピューターで絵を描いたりそういうのが増える。デザイン科にしろといった祖父は凄いと思います。

そして美術予備校に通うことになるのですが、祖父から条件が。

「予備校に行くまでは俺が教える。2週間に一回来い。」

そう、祖父が僕の絵の先生になったのです。

いくら孫には優しいおじいちゃんとはいえ、絵の先生となれば話は別です。

なかなか厳しかったですが、上達が遅かった僕に祖父が言ったいまだに覚えてる言葉があります。

「俺が10言うだろう。
今日は1だけ覚えればいい。
次来た時にまた10言う。
そしたらまた1だけ覚えれば2覚えた事になる。
勉強ってのはそういうもんだ。」と。

なるほど。

焦っても仕方ないし、教える立場は忘れるのを見込んで教えてるんだなーと思ったものです。

今でも勉強する時に頭に浮かぶ言葉でもあります。

というわけで、頑張れ受験生!

逃げてもいつか逃げきれなくなるしその時頑張るより今が1番若いよ!

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