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なりたい自分(前編)

どうもー、1週間ぶりです。

ぱっぷこーんとのサミュエル・L・ジャクソンこと、パップコーンの須田です。

もう、1週間経っちゃいましたね。毎回言ってますが、本当に1週間経つのが早いですね。

今日で10月も終わり。

明日から11月なんですから、今年も後8週間なんですねー。

早すぎるな。

先日のロンハーに、後輩のハライチ澤部が慕っている先輩の3位に須田をランクインさせてくれた事で、観ていた懐かしい友人や、身近な友人などから30件くらい連絡を貰い、ロンハーの力を物凄く感じた今日この頃なんですが、名前と顔写真しか出ずに、少しだけスタジオでいじってもらって、これだけ自分を知ってくれている人が喜んでくれて、連絡までしてくれる。

凄く嬉しい気持ちと、まだまだだ、もっと自分が出る側になって、もっともっと沢山の人に嬉しい気持ちになって欲しい。って気持ちの2つの感情が湧いた。

自分で言うのも恥ずかしいですけど

小さな頃から活発で相当な目立ちたがりで負けず嫌いで、人より目立たなかったり、人に負けたりするのが、凄く悔しいと思っていた幼少時代。

前回もお話しましたがよく泣く奴でして、幼い頃は、負けたり、悔しいとすぐに泣く子供でした。

初めて演技をしたのも、幼稚園の年少組の時に、お遊戯会でたぬきの役をやりましたね。

年中組の時はサンタクロース。

年長組の時は羊飼いの長

この頃から目立ちたがりだったので、お遊戯会で演技するのが、凄く楽しかった思い出があります。

ただ、この頃は特に役者さんになりたいとか、芸人になりたいとか、そんな夢は持っていませんでした。

幼稚園の卒園アルバムには、将来の夢に

多賀竜みたいな強いお相撲さんになりたい。

って書いてありました。

幼稚園の頃はおじいちゃんの膝の上に座り、おじいちゃんと大相撲中継を熱心に観る、渋い幼稚園児だったんです。

何故、千代の富士や朝潮じゃなかったのかまでは覚えてませんが、その時の須田は多賀竜関が好きだったんでしょう。

友達や年上の子と砂場で相撲を取って、負けると泣いて、勝つまで挑み続ける面倒くさい子供でした。

このまま、相撲道に励み、お相撲さんを目指すかと思われた須田少年ですが、小学生に上がると、別の道に進みます。

きっかけは少年野球チームに入団した事でした。

相撲より、野球が好きな少年に須田は変わったんですね。

小学生の文集の将来の夢には

甲子園でホームランを打ちまくって、西武ライオンズに入って清原みたいな選手になりたい。

って書いてありました。

今は千葉ロッテファンですが、子供の頃は西武ライオンズファンだったんですねー。埼玉出身なので、熱烈な西武ファンで、小学生の頃は、よく1人で西武球場まで応援に行くくらいの西武ファンでした。

入っていた少年野球チームも、凄く強くて、小学生にして、読売新聞主催のクリクリ少年野球大会と言う実質の関東大会みたいな大会で決勝戦まで勝ち進んで、西武球場で試合をした事は今でも忘れられない思い出です。

絶対に将来はプロ野球選手になる。

そう誓っていた須田少年は少年野球は6年生の12月で終わってしまうので、中学生に上がる4月まで、何も運動しなくなるのは嫌だったので、6年生の3月まで大会がある少年サッカーチームに入団します。勿論サッカーは格別上手い訳ではなかったので、中学で野球部に入るまでの身体作り、怠けない為の手段として入りました。ポジションも野球をやっていたので、キャッチするのは得意だと思いゴールキーパーを選びました。

そこから毎週、体力作りと身体作りの為にサッカーの練習に通い、メキメキとゴールキーパーの実力が上がって行き、試合にも出て、ファインセーブを連発。極めつけは4月に進学する中学校のサッカー部の1年生との試合で、僕達6年生のサッカーチームは須田のファインセーブ連発で勝利を上げ、チームのコーチからは

「須田ちゃん、絶対キーパーでプロ選手になれるよ」と褒め称えられ、相手の中学の顧問の先生にも、「4月から入部する事、期待して待ってるからな」と声をかけられ、

須田少年は中学に入ると、サッカー部に入る事に。

あれだけ大好きで、絶対にプロになると誓った野球を須田少年は簡単に捨ててしまったのです。

何故なんだ?絶対にプロになるって言ってたじゃないか。

答えは明確。

野球をやっている頃は強豪チームだった事もあり、監督やコーチからプロになれるなんて言われた事がなかった。

そう、須田は調子に乗りやすかったのです。

サッカーのコーチからプロになれると言われ、中学の顧問の先生にも期待された須田少年は、簡単にサッカーに鞍替えをするのです。奇しくも、時はJリーグが始まろうとしている真っ只中。サッカーでもプロが目指せるようになった事も相俟って、須田少年はプロサッカー選手を目指し始めるのです。

中学に入ってからは、毎日の厳しい部活の練習に心が折れそうになりながらも、一生懸命ついて行き、1年生の秋には、一学年上のチームで、ベンチ入りを掴みながらも、中々レギュラーを取る事は出来ません。一学年上のレギュラーのゴールキーパーの先輩は、180cmを越える大柄で尚且つ俊敏な県選抜にも選ばれるような強力なライバルで、まさに大きな壁でした。

当時の須田は、170cmにも満たないキーパーとしては小柄で技術的にもその先輩には及ばない状態で、太刀打ち出来ない現状でしたが、負けず嫌いが好じて、もっと上手くなりたい、先輩に勝ちたいって気持ちで、とにかく我武者羅に練習しました。

負けず嫌いの須田は、強力なライバルがいると燃え上がる性格なんですねー。

最終的には、その先輩からレギュラーを奪う事は叶わなかったのですが、先輩の存在のお陰で、技術、精神はかなり鍛え上げられました。

先輩達の最後の夏の大会

市大会、地区大会と勝ち上がり、県大会前の夏休みの練習中に、事件が起こります。

練習中に先輩と空中で競り合いになった須田は、ボールをキャッチしにジャンプした瞬間に、競り合った先輩の肘が須田の顎に思いっきり入ってしまいます。

顎に入った事で一瞬意識を失い、次に気づいた時には、顧問の先生が大きな声で須田を呼んでいました。

救急車を呼ぼうとしていた先生に、須田は立ち上がれたし、意識も戻ってからは、しっかりしていたので、「大丈夫です。」と制止をしたら、先生は、「今日はもう練習は出来ないだろうから、このまま病院に行け」と言われ、帰り支度をしながら鏡を見ると、パックりと下の歯茎が割れていたので、歯医者さんで縫ってもらおうと歯医者に向かうと、歯医者さんが、「1回レントゲン撮ろう」とレントゲンを撮ってみると。

「顎が折れてるね、骨折だ。」と。

今まで聞いた事のない、顎の骨折。

そこから、口腔外科のある病院を紹介されて、即入院、翌日手術。初めて全身麻酔も経験しました。あれ、凄いですね。一瞬にして意識が無くなって行く感覚は不思議な体験で、今でもその時の景色は覚えてます。

そこから1ヶ月間の入院生活で、顎を固定している為、食事は取れないので、点滴と鼻からチューブで流動食を直接胃に流し混む生活になり。中学生の活発な期間に1ヶ月で7㌔体重が減りました。

165cmで体重が47㌔に。まさにスーパーモデルみたいな体型になりました。

入院中に、先輩達は県大会で敗退し、自分達の代に変わって、新チームになったのですが、勿論練習にも参加していないし、試合にも出れないので、レギュラーは同じ代の別の奴に奪われてしまいました。

でも、顧問の先生は、何故か入院して、練習にも参加出来ない須田を新チームのキャプテンに選んでくれました。その先生の気持ちや期待が凄く嬉しくて、須田は退院して、チームに戻った後も腐らずに、練習に励みました。ただ、すぐには練習に参加出来なかったので、実質2ヶ月以上のブランクが空いてしまいます。この当時の2ヶ月はめちゃくちゃ大きくて、同学年のレギュラーを奪われた奴も、どんどん上手くなって行くし、結局、自分達の代では、最後までレギュラーを奪い返す事が出来ませんでしたが、キャプテンで試合に出られないなら、ベンチから試合を盛り上げようと、誰よりもベンチから声を出して盛り上げ役に徹しました。

試合に出れない事で、より一層、サッカーへの熱が上がって行き、やっぱりプロサッカー選手になりたいって気持ちが大きくなったので、引退した後に、クラブチームのセレクションにも参加しましたが、勿論受かる筈もなく、何なら、そのレベルの高さに驚愕さえしましたが、須田は高校でもサッカー部に入って、プロを目指すと誓うのでした。

ちょっと、思ったよりも大長編になって来ちゃったので、今週はここまで。

来週は、なりたい自分(後編)をお届けします。

初の2週に渡る作品に(*´罒`*)

長々と書いてしまい、ごめんねー。

読んでくれてありがとう。


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