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オ― マレーシア 日本の侵略とルックイースト政策・多民族共生

ルックイースト政策

 2016年、私はマラヤ大学にいました。そこには、マレーシア全土から成績が上位5%という優秀な学生たちが集まってきます。彼らは将来のマレーシアを背負って立つエリートたちです。

 その中には、日本留学を目指す学生たちもいます。彼らが在籍するマラヤ大学予備教育センター日本留学特別コースは、1982年に当時のマハティール首相によって提唱されたルックイースト政策に基づいて設置されました。マハティール氏は脱西欧を目指し、急速な発展を遂げた日本や韓国など東側の国々に目を向け、その勤労倫理や経済哲学、技術を学んでマレーシアの工業近代化と発展を加速しようとしました。

 「倫理と知識を求めて我々は日本に行くことにした」として、日本に対して人材養成に関する期待を示したこの政策は、日本側の自尊心をくすぐり、政官民の全面協力を得ることになりました。ルックイースト政策は、マレーシアの工業化と経済発展に大きな影響を与えましたが、近年では中国やアメリカへの留学が増加し、日本への留学は減少傾向にあります。 

マラヤ大学予備教育センター

 マラヤ大学予備教育センター日本留学特別コースはAAJと呼ばれています。現地語で「日本への架け橋」、あるいは「日本への入り口」という言葉の頭文字です。

 そこでは文科省から数学、物理、化学の教師、国際交流基金から日本語教師が派遣され現地スタッフ協力して教育活動にあたります。学生たちに日本の大学で学ぶために必要な学力を養うこと、それが仕事です。

 学生は、主にマレー系で、中華系やインド系はほとんど見かけません。よく見ると、大学の事務員や教職員もマレー系で、清掃などの日常業務にはインド系というすみわけがあることに気が付きます。多民族共生の難しさがそこにありました。

マレー系と中華系

 第二次世界大戦中、マレー作戦で日本軍はマレー系、中華系、インド系の分断を図りました。インド・マレーの兵士と戦うことを避け、武装解除をして解放します。彼らに比較的反日感情が小さいのはこのためだといわれています。

 中華系の人たちは祖国中国を侵略した日本に徹底抗戦したため、大きな犠牲を払いました。日本人に向ける目は今も厳しいものがあります。

 マハティール氏も、シンガポール建国の父リー・クアンユー氏も、ルックイースト政策によりそれぞれの国を発展させましたが、両者の日本に対する姿勢は対照的です。マハティール氏は日本好きですが、華人であるリー・クアンユー氏は日本の侵略を何度も厳しく批判しています。彼にとってルックイースト政策は苦渋の選択だったと思います。

 市民戦没者記念碑 (Civilian War Memorial)その起工式でリー・クアンユー氏は次のように述べています。(原文は英語 Google翻訳およびDeepLによる翻訳を対比の上、一部を意訳しました) 

 20年以上前の1942年2月、私たちは大きな悲劇を経験しました。当時シンガポールにいた私たちは誰もそれを忘れないでしょう。突然、私たちが知っていた世界が終わりを迎えたのです。

 当時は現在が苦しく、未来は暗いものでした。苦しみの一部は、何万人もの若者、ほとんどが民間人で、一部は志願兵が突然姿を消したことでした。姿を消した人のほとんどは中国人でしたが、インド人、マレー人、ユーラシア人、セイロン人などもいました。シーク教徒の2家族も虐殺されました。
 
 過去がいかに痛ましいものであったとしても、私たちは過去の経験に縛られることなく、生き、未来に備えなければなりません。過去を完全に忘れることはできませんが、傷を癒し、傷跡が消えるよう努めなければなりません。

 この式典は、日本占領下のシンガポールで亡くなったあらゆる人種や宗教の人々を追悼するためにこの土地を捧げるものであり、日本が敵であった過去を乗り越えるための過程の一部です。

 今日、彼らは我が国の産業発展に貢献しています。なぜなら、工業国の中で、彼らは経営スキル、技術的ノウハウ、産業設備のコストが最も低い国だからです。日本政府による適切な償いによって、敵意がすぐに解消されることを願っています。

 完全に忘れることも、完全に許すこともできません。しかし、まず象徴的にこれらの魂を安らかに眠らせること、次に日本人が起こったことに対する真摯な後悔を表明することで、多くの人の心に残る敵意の一部を鎮めることができます。この希望をもって、私は本日の式典を執り行います。

原文はシンガポール国立公文書館より取得

 PRIME MINISTER, MR LEE KUAN YEW'S SPEECH AT "BREAKING OF THE SOD" FOR THE MEMORIAL TO CIVILIAN VICTIMS DURING THE JAPANESE OCCUPATION, ON JUNE 15, 1963.

 念のためですが、マレーシアでもシンガポールでも日本人だからと敵視されるようなことはありません。彼らは日本による侵略を詳しく学んだうえで友好的に接してくれます。私たち日本人はその姿勢に感謝しなければなりません。表面に出しませんが「日本製品は買わない」という人々も存在することを忘れてはなりません。