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執筆は「縛りプレイ」でいこう! 文章をちょっと良くする5つの制約

 気まぐれで始めたnoteだけれど、始めた以上は読まれたい。需要がそこそこあって自分にも書けそうなネタは何かと考えたところ、文章作法なんていいんじゃないかと思い付き、とりあえずタイトルでハッタリをかましてみた。だからみんな、羊頭狗肉な内容にガッカリしないで読み通し、ハートのアイコンを押して中年の醜い承認欲求を満たしてくれたらいいなって思う。

 とまあ勢いで書き始めたものの、ぼくはライター歴が長いとはいえ特別なものを書いているわけではなく、母国語で作文をしているだけだ。ノウハウのほとんどは義務教育と読書経験、実戦で身に着けたもので、特別に「こうすればうまくいく」と教えられることもなく、そもそも文章に正解なんてない。……あれ、2段落目でもう行き詰まったぞどうしよう。

 ただ経験上、正解はないにせよ、「こうしたらうまくいかない」といった不正解はあるものだ。そこで、ぼくがゲーム専門誌の新人時代にさんざん言い含められた「禁則事項」をいくつか紹介しよう。「地雷さえ踏まなければ少なくとも死にはしない」程度の消極的な話ではあるが、書き続けるにはまず死なないのが第一なのだ。

 それに、自己ルールを設けて縛りをかけると、精度を高められるメリットもある。ほら、シューティングゲームの上手い人ってボム禁止したり、わざとステージ後半で死んでからパワーアップなしで復活狙ったりするじゃん? と、強引にタイトルを回収したところで前置きはおしまい。

「注意が必要」にならない

 「○○は××なので注意が必要だ」は、油断しているとつい頼ってしまう言い回しで、ぼくが古巣で書いたときは魔女狩りに遭ったかのように糾弾されたものだ。なぜかといえば、何も言っていないに等しいから。

 例えば「サバは足が速いので注意が必要だ」と書いた場合、読者は「あら、じゃあ早めに食べるよう気をつけないとね」などと察してくれるかもしれないが、まず読者に「察してね」と要求してしまう時点でよろしくない。これがもしゲームの記事だった場合、「2面のボスは足が速いので注意」と言われ、「あら、じゃあ移動先を先読みして弾幕を張るよう気をつけないとね」まで察してくれる読者はそうそういないし、いたとしても攻略記事など不要の熟練者だろう。

 要は、「注意が必要な状況」があるならば、その解まで含めて紹介するのが書き手の仕事だってことである。

「あの○○」を帰ってこさせない

 「あの○○(名作)が帰ってきた!」「あの○○(人気キャラ)にまた会える」といった言い回しは続編ものの紹介に便利だが、安易に用いるのも考え物だ。僕の古巣でそんな見出しをデスクに提出すると、確実に「どの?」の赤字付きで突っ返される。

 これは「読者が何でも知っていると思って手を抜くな」との戒めである。「あのテトリスが新ルールをひっさげて~」ならばまあ許されないこともないが、「あのクラックスが~」だったら間違いなく説教コースだ。いや、クラックスなら比較的有名なほうではあるけれど、さすがに全読者が「あ~、あのクラックスね」と納得してくれる気はしない。「『KLAX(クラックス)』はアタリが1990年に業務用として~」など、簡単でいいから説明を添えるのが筋だろう。題材の認知度を推し量り、情報量を調整するのが大事。

「こんな感じ」で逃げない

 まず、ぱくたそから引っ張ってきた画像を見てほしい。「iPhone落としちゃった談」を書くとして、あなたならどんなキャプションを付けるだろうか。

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 近年のWeb記事だと「iPhoneを落としてこんな感じのヒビが~」といった文言をよく見るのだが、それもよく古巣で怒られるやつだった。キャプションは写真の補足を書く場所であり、見れば分かる程度の情報なんかいらねえってことである。"こそあど言葉"を使い、情報の伝達を100%画像に委ねるのもよろしくない。

 じゃあどうすればいいのかと聞くと、上司は「キャプションって、必ずしも写真の状況説明じゃなきゃダメってわけじゃないんだよ」と答えた。つまり、上記のiPhoneであれば、落としたときの心情でもいいし、購入した時期でもいい。このアドバイスは当時の僕にとって目からウロコで、その後はキャプションを自由なことを書ける遊び場として楽しめるようになった。たまに写真と乖離しすぎて怒られるケースもあるけれど。

ちなまない

 これはシンプルに、「ところで」のつもりで「ちなみに」を使うのは危険だって話。たいてい「因んでねーじゃねーか」と怒られたり、「ヲタの会話っぽい」といじられたりして終わる。そういうときは「なお」が無難だ。

縛られない

 「5つの○○」を設定しておきながら、5つ目で他の4つを否定するのは反則だろうが、自己ルールに縛られすぎるのもよろしくない。確かに、上記のフレーズはいくつか問題点を抱えているものの使い勝手や響きが良く、手垢が付いているだけに読者へ伝わりやすい場合もある。

 よく聞く「という」や「同じ助詞の連続」、「~なこと」の多用は避けようって話にもいえるのだが、これらの回避を徹底しようとして、かえって読みにくくなるケースもある。例えば「おのののかの写真集のベストショット」の「の」を減らすとして、「おのののかの写真集で一番良かった~」「おのののかの写真集でイチオシの~」……うーん、「おのののかの写真集のベストショット」のままにしたほうが、スッと読めるのではないだろうか。まあ、「おのののか」って打ちたかっただけの無理矢理な例文ではあるけれど。

 それに、あの「文章作法」の感じの話もあくまで「多用は避けろ」ということ。それに忠実でありすぎるのもかえって良くないので注意が必要なのである。ちなみに、ぼくは1記事につき何回か、自分のルール違反を許してもいいことにしている。

 で、結局どないせーっちゅうねんって言われそうだけれど、文章には「正解」はおろか、「不正解」すらないんじゃないかって話になってしまった。もちろん最初に書いた通り、縛りをかけてスキルを磨くのはアリなのだけれど、適度に自分を許してあげないと、ゲームも仕事もつらいもの。

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