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聞いてる人を見るのが好きだ

今どき、「人間観察が趣味」なんて言ったら気持ち悪がられるのか、ちょっと不安なところではありますが、
私は昔からたぶん、人間観察が好きでした。

”たぶん”と言うのも、意識的に観察していたつもりはなく、気付けばその日に会った人たちの言動や特徴を割と詳細に記憶していたから、
ジーっと見ていたのだと思います。
何がそんなに面白いのか、ちょっと自分でも分かりませんが、その癖は今でも健在で…。

だからって、誰でも観察対象になるわけではなく、自分なりにふるいにかけて、センサーが作動したときに限る癖だと思うのですが、

―私って、どういう人を観察していたいんだろう。

そこに集中して過ごす中で気付いたことがあります。

話す人


例えば、人が複数人で話しているとき。
話している人よりも、話を聞いている人の方に注目しがちでした。

なんかこれって、
「聞き上手は話し上手」とか
「コミュ力に大切なのは聞く力」
とかに通ずるのかな。
ちらっと思ったのですが、どうもそういうことではなく、話を聞いている人の相槌パターンに、その人の人間性がおもいっきり出ている感じがして、見てて楽しいんだと思います。

ぶっちゃけ、よく話す人、何かを発信している人には、そこまでの興味をそそられません。
私もこうして、文章を発信している立場でなんなのですが、
「こういうことがあったよ」
とか、
「こういう人もいるんだよ」
とか。
内容がなんであれ、「分かって欲しい」という熱量を感じた途端、分かろうとする気が失せることがしばしばあります。
根が天邪鬼なのかなぁ……。
なんであくまで伝える側だと思ってんの、と思うことさえあるから、もう自分のやっていることがよく分からなくなることも。

聞く人


話す側の人のことは一旦さておき、
聞いている人の動きや癖を探すのが好きです。

「ちゃんと聞いてるよ」
って感じで、しっかりと目を見て頷く人。

「でもそれは…」「じゃぁ要するに…」
と、自分の意見もちょいちょい挟んでくる人。
(あんま聞く気ないパターン)

上の空なくせに、実はめっちゃよく聞いてる人。

ひたすら影響されて感動する人。

話す人って、だいたい言う事は決まっているから、動きにもあんまりバリエーションがなくて、だから私の中で割愛(ミュート)しがちなのですが、
聞いてる人ってさ、話してる人よりよっぽど晒してない?
と思うことがあります。
ジーっと観察すると、人柄が透けて見えて、
(お、無意識にいい奴感出ちゃってるよ~)
って、なんか、宝探しみたいな。

自分で書いてて思ったけど、結構変態的なことしてんなぁ、私。

客観的じゃないと観察にならない


それって別にわざわざ「人間観察」と呼ばずに、誰かと接してコミュニケーションを取る中で、自分や誰かの話を聞いている人のことを見てりゃええんとちゃうの。
と言う人もいるかも知れませんが、それは全然違います。

私の存在を誰も意識しない輪の中での聞き手を、第三者の立場から、そこに交わることなく、全く関係のない他人として、ただ観察していたいのです。
そこに加わってしまうと、どうしても発信者の話に注意を払わなければいけなくなるし、そうなると、もう聞き手の観察ではなくなります。


最近あんまり人間観察してないな。
ずっと主観で生きてる気がする。
ので、良い感じに存在感を消せるカフェ探しでもしようかな。








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