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破廉恥金八が説く人生の悦び

近所のスーパーのレジに、全盛期の金八先生みたいな口調で接客するおばちゃんがいます。
私が中学生の頃からいるから、もう出会ってかれこれ15年くらいになります。
金八先生の全盛期とは。(独断)
よくモノマネ芸人とかがやる、長髪を軽やかになびかせて、リズミカルに頭を揺らしながら、
「この~バカチンがっ!」
ってアレね。
凄く良い声だなぁ、と思うのですが、やはりクセはだいぶ強め。
武田鉄矢だからというか、金八先生だから成立する特徴的な話し方だと思うのですが、それを堂々と大阪の町外れのスーパーのレジで披露するおばちゃんがいて、初めて見たときは、ふざけてるんかな?と思いました。
しかしどうもそういうわけでもないらしく、とても真面目な方で、接客も丁寧でスピーディー。
今ではもう慣れっこですが、当初はレジに並ぶ前から、毎回笑いをこらえるのに必死でした。
私だけが金八だと思ってるのかどうか確かめたくて、幼馴染の友人の家にお邪魔したときに、その子のお母さんに話してみました。
「あそこのスーパー、金八先生いません?」
すると彼女は、宝くじでも当てたようなテンションで、
「おるおる!!きんぱっちゃんな!」
と興奮して言いました。
大人だからね。
みんなあんまり他人の話し方とか特徴について、やんやん言わないようにしてるのかな。
以降おばちゃんは、私の家族や地元の友人公認の金八となりました。


ある日。
お惣菜コーナーでたまたま休憩中のおばちゃんに出くわしたとき。
おばちゃんは誰かと電話で話していて、それがなんと、標準語だったんです。
いや関西弁は関西弁なのですが、なんというか、私にとっておばちゃんの話し方は、関西弁も標準語だと呼びたくなるくらいの爆個性だったわけですから、それはそれは衝撃的でした。いたって「ふつう」の話し方でした。
当時私はなぜか、見てはいけないものを見てしまったような気になって、何も悪いことをしていないのに猛烈に恥ずかしくて、咄嗟にその場を離れたことを覚えています。

おばちゃんの、裏の顔。
表か裏か分からないけれど、私の知らなかった一面。
おばちゃんについて知っていることなんてほとんどなかったけれど、金八先生としてのインパクトが大きすぎて、全くの別人を目の当たりにし、なんとなく心細くなったのだと思います。
混乱しました。
なぜ、勤務中に金八先生化する必要があるのか。
電車のホームに響くアナウンスも結構特徴的な声だけれど、あれは乗客たちの耳に入りやすくし、注意喚起するためだと聞いたことがあります。
非常に、理にかなっています。
でもここはスーパー。
しかも全国展開してる超有名スーパー。
スタッフは個性的であるよりもむしろ、無個性に近い方が好都合な気もします。

謎です。今でも彼女は勤務中は金八先生だし、むしろどんどん精度が増しています。
パフォーマンス……?
実はだいぶシャイな人なのかな。だから本来の自分とは違う人になりきって、それが世界と上手く関わる術になったのかな。
一時期は「探偵ナイトスクープ」に依頼して、真相を探って貰おうと本気で考えたのですが、私の直感が「それはおばちゃんを売ることになる」と思いとどまりました。



ところで武田鉄矢と言えば、小学校高学年のときに見た討論番組を思い出します。
数人の教育評論家や教員、社会学者が自殺願望を抱く中高生とディベートを繰り広げていました。
彼が特別ゲストとして番組に招かれたのは、金八先生という、知名度も好感度も抜群に高い教育者としてのイメージからでしょう。
私もその日までは、金八先生が好きでした。
優しいし、怒っている場面でも、愛情ゆえに感情を爆発させているのであって、ただのエゴじゃないということを、子どもながらに感じ取ったのかも知れません。

スタジオには、様々な理由から死を望む十数名の少年少女たちが集められていました。
大人と社会の不条理を諦めたように、保身するように嘲笑う子。
世界を狭く狭く捉えて、必死に自分を守ろうと殻に閉じこもろうとする子。
親戚の大人から性的暴行を受け、心に深い傷を負った子。

「世界には貧困や戦争のせいで、生きたくても生きられない人たちもいるのよ⁉」
”そうですね、申し訳ないです。あげれるもんなら、命あげたいです”
「死を望むほど、まだ人生の喜びを味わってないじゃない」
”これ以上生きていたくないって思ったんです”

彼らの主張は、生きることが死ぬほど辛いのではなく、生きること自体が、死ぬことよりもよっぽど辛いというものでした。
10才そこそこの、ぬくぬくと育った私にはついていけない難題でしたが、とてもセンセーショナルな話題だったので釘付けに。
けれど、本当に死にたがっている人が「生きたくない」などと声に出して言うだろうか。
「死にたい」とわざわざ公言する必要があったのは、心のどこかで誰かの助けを求めていたからなんじゃないかと、今となっては少し思います。
今の私がもしあの収録現場にいたら、彼らに何と声をかけるだろうか。
「死んだらアカン」
それは余計に彼らを傷つける言葉だと思う。
だって、死という最終的な逃げ場が頭の片隅にあるだけで、多少救われている部分もあると思うから。

んー……。


そのときのコメンテーターの中に、乱暴な表現になりますが、”自分に酔っちゃってて鬱陶しい系”の年配の女性教師がいました。
それこそ、金八先生の世界に憧れて教師になったような。
君たちは腐ったミカンじゃない!とか大真面目に言い出しそうな。
彼女がスタジオのど真ん中に立って、
「みんな!人生って素晴らしいんだから!生きてさえいれば、きっと希望は見つかるの!だから死なないで!」
と朗々と語るものの、誰の耳にも届いていない様子。
他の出演者や子どもたちから失笑されていて、ちょっと可哀そうに思ったのを記憶しています。
言ってることの内容自体は間違っていないと思うし、良いことを言っているのですが、なんだかなー……。
伝え方が熱すぎてウザいんです。

仕方ないよ。教師は教師でも、金八先生みたいにプロの先生じゃないもん。
そう解釈した私は、武田鉄矢が一体何を語るのか、興味津々でした。
すると彼は言いました。

「みんなはまだピンと来ないだろうだけど、良いセックスに出会うこと!
これがすごく大事」

そのときテレビの前には、母や姉たちもいました。
思春期に両足を突っ込んだ超敏感な私は、今すぐ舌を嚙みちぎって死んじゃいたいくらい、きまずい気分に。
おっさん何言ってくれとんねん。です。
それから二十歳を過ぎる頃まで私は、武田不審、ひいては金八不審に。
教育者どころか、ただの破廉恥おじさんというレッテルを貼るようになりました。
それくらい、性に関する言葉やテーマには敏感な年頃だったのです。
ましてや、自殺願望を持つ少年少女に対し
「良いセックスをせよ」
とはどういうおつもりか。


あれから十数年が経った今。
やっと、武田鉄矢の言わんとしていたことが少しだけ分かるような気がします。
世に溢れている素晴らしい小説や演劇、音楽や映画を観て思うところ、感じるところがあるからです。
シェイクスピアは、ほとんどの頁に性のイメージを散りばめたし、
フロイトは、エロス(生の欲動)とタナトス(死の欲動)は人間の潜在意識の中に備わっていると提唱しました。
肉体的・精神的快楽を得るというところに、生に対しての執着心が生まれるという考えは別に、私が嫌悪したほど破廉恥で変態的な理論ではないんじゃないか。
「セックス」という、当時の私にとっての強烈なパワーワードの中に、生きる活力という意味を込めた武田鉄矢とようやく和解した気分です。


さて。
ここからどうスーパーの金八おばちゃんに帰結させようかと悩んではみたのですが、なんでもかんでも無理矢理繋げるのは良くないと思うのでやめときます。

でも私はたぶん、おばちゃんのことが好きです。
いなくても別に困らないし、やめたくなったらやめてもいいけど、やめて欲しくない。
出来るだけ長く、そこにいて欲しいと思ってます。

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