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まだ整理がつかない過去のお話。

こんにちは、ぱんなこったです。

一度過去にnoteに書いたことがある話ではありますが、改めて自分の中で少しでも消化させたいので再び書きます。中学時代の部活の話です。

私はバスケ部でした。小学生からバスケをしていて、そのまま中学でもバスケをしました。他に入りたい部活もなかったし、ミニバスの頃からの仲間もいたので必然的に入部しました。
私たちが入った年から新しいコーチが部にやってきました。その人はミニバスの頃からお世話になっていた人だったので、私たちは気兼ねなく部活動を始めることができました。当初はとても優しく指導する方で、怒ることは全くなく楽しくプレーさせてくれました。しかしある日の練習試合で私たちのミスがあまりにも立て続いた結果「もうお前たちに優しくするのは飽きた」と言い放ち、以降はとても厳しく怒る指導者となりました。

部長だった私は学校外部の人間だったコーチとの連絡係もやっていて、メールを通じて他の部員よりもたくさんコミニュケーションをとっていました。そのやり取りの中では「お前のことを信じている」「自信を持てばもっとお前はできる」といったこともたくさん伝えてくれました。しかし、どこか信用しきれないところがありました。

なぜかというと、私は明らかに試合で活躍しきれていなかったからです。私には部長という役職をこなす力は十分にありました。各部長がやらなければいけない書類仕事や全体部会への出席、毎日リーダーとして練習メニューを考えてみんなをまとめる役割、それらを全うすることには、私は確かに長けていたと思います。学級委員とかするタイプだったので。でも、バスケの実力という面で言えば、私は部の中で一番ではありませんでした。
副部長をしてくれていた子が、とてつもなく上手かったのです。ミニバスの頃は彼女がキャプテンをしていました。背番号こそ私が4番をつけてはいましたが、実質的な4番は彼女でした。コートの上では彼女が全てカバーしてくれていました。今思い返しても頭が上がらないくらい、プレーにおいても日頃においても、部を支えてくれていた人です。

コーチの信頼や厚意が彼女に最も向かっているのは誰が見ても明らかでした。彼女が怒られることは滅多になかったし、むしろいつも誉められていました。コーチは、頭では私のことを信じてやりたいと思いながらも、気持ちは彼女への感心で一杯だったんだと思います。コーチ自身も指導者をするのは初めての経験だったので、どうすればいいのか迷いもあったでしょう。その中でプレーでひたすら期待に応えてくれる彼女の実力に救われていたのは否定できないはずです。

私にはそれができなかった。どれだけ雑用仕事や事務仕事、チーム統括ができても、コートの上に立てば無力だった。運動神経も良い方ではない、ただ長くやってるからバスケがそれなりにできるってだけで、決して上手いわけではなかった。それをコーチにわかってほしかった。私が4番をつけている理由は実力ではなく、チームをまとめるためだと。ただ、それは彼女が4番でもできていたと思うので、コーチはそれが歯痒かったのではないかなと思います。コーチに部長を選ぶ権利があれば、彼女を選んでいたでしょうから。

今ここで私が書いたコーチの思いは憶測でしかないです。本人に確かめたことはありません。でも私はずっとそう感じて部長をしていました。「もう優しくするのは飽きた」という言葉を聞いて以来、コーチに対する信用は揺らいでいたので。優しくすることに飽きるも何もあるのか。今までの優しさは嘘だったということか。彼女に対する言葉と私に対する言葉は全然違うじゃないかと。

コートの上ではとにかく怒られ続けました。ミスしたくてしてるわけじゃないのに、とにかくミスすると怒られる。ミスしないためにどうすればいいかを言うのではなく、ただミスを指摘する。いう言葉はただ一つ「自信を持て」。だったらどうしてミスをなくす方法を教えてくれないのでしょう。こんなにミスを責められなければ、今より自信も持てると思うのに。

他の子がミスをすると安心しました。自分が怒られずに済むからです。試合には勝ちたくありませんでした。勝ち進む限り試合はある。試合があると怒られるからです。そんなことばかり思う奴が部長だなんてと思うと、情けなくて自分が大っ嫌いになりました。
辛くて仕方がないから早く引退したかったです。やっと引退した時「もうバスケはしない、もうつらいことはしない」と心に決めました。今思うと、燃え尽き症候群だったんだなと思います。


あれから10年以上の月日が経っていますが、やっぱり思い出すと心が締め付けられる感じがします。彼女に頼りきりで申し訳ないという思いや、コーチに心から信じて欲しかった、認めて欲しかった、怒ってほしくなかったという気持ちが、生々しく蘇ってきます。まだまだこの過去は私の中で消化しきれていないようです。


とにかく辛くて嫌で仕方がなかったけど、あの中学の3年間にはあの時にしかない楽しい思い出もあるはずなんです。でも部活の苦しさを思い出すのが嫌で、中学時代の話には蓋をすることが多いです。

いつかそんな蓋をすることなく話せる日が来るのかな。来てほしい。そう願っています。

そうするためにも、またいつかnoteに書くかもしれません。その時は、少しは気持ちが前に進んでるのかな。


ぱんなこった

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