見出し画像

スクラムがみんなの「意志マネジメントシステム」になる

 結論から言うと、スクラムとは「意志のマネジメントシステム」でもある。

 スクラムの紹介、説明を行う際には「適応の仕組み」として強調することが多い。未知なる領域に踏み出してみる、新手の取り組みを進めてみる。そうした局面で実践による「経験」を獲得していくことで、適切な判断と行動を取っていくための仕組み、ということだ。

 プロダクト作りに限らずとも、現代の組織やチームにおいて「適応」の動きが不可欠になっている。これまでの判断基準ややりようから離れ、組織にとって「はじめての試み」に挑む局面が様々とある。ゆえに「アジャイルの適用を広げていこう」というメッセージに繋がる。

 スクラムには「適応」とはまた別の一面がある。それが冒頭にあげた「意志のマネジメント」だ。組織やチームとしての「試み」を促し、「持続」させるための仕組み。

 私達は日々数多くの「やるべきこと」に取り囲まれている。やったほうが良いこと、むしろ、やらねばならないことですらあるが、できていない。そんなものが実際のところ数多くあるだろう。私達が取り組めていることは、頭に思い浮かべる構想の中のごく一部だ。
 そうした「本来やったほうが良いこと、試み」について、最初は徐行からはじめて、段々と活動の密度を高めていける。なおかつ途中で燃え尽きることなく、ある意味自分たち自身を励まし、持続可能な活動へと昇華させる、そんな仕組みがたいていのチーム、組織にとって不可欠だと言えるだろう。

 このことを4つの象限を用いて、より具体的に考えてみよう。やるべきことの緊急度と、やるべきことへの自分たちの意志入れの度合いの組み合わせで捉える。

必要なマネジメントの分類

(1) 「緊急度:高」 × 「意志:強」

 この象限は、緊急度合いも、自分たちの意志も、両面で強い。こうした状態でも、スクラムの適用はもちろん可能だが、そもそもやるべきこととして優先度が高く、自ずと走り出せるところでもある。
 勢い余って、取り組みペースが崩れたり、ラフな進め方でかえって混乱の度合いが過ぎぬようにしたい。

(2) 「緊急度:高」 × 「意志:弱」

 やらねばならないが、意志が高まらず、後回しにしたくなるような事案。例えば、「やるべきこと」の理由が自分たちの内側にあるのではなく、外側から要請されて応えなければならない事案。組織の中のガバナンスの一環としての施策や、リスクヘッジのための取り組み。
 どのようなことが「弱い意志」となってしまうかは、あくまで主観的なことなので、例が挙げづらいところだが、実は「デジタルトランスフォーメーション」などもここに入りうる。
 組織によっては、業務のデジタル化が喫緊の課題でありながら、「よくわからないものに時間やコストを割きたくない」面持ちから、優先度が上がらない場合がある。
 そうしたとき、「ひとまず様子をみよう、ひとまず情報を収集してみよう」と、みなし緊急度を下げて扱いがちになる

(3) 「緊急度:低」 × 「意志:強」

 この領域は逆に「やりたいこと」だが、他の優先度高い事案によって、取り組めないでいるところだ。
 例えば、「チームや組織のナレッジを集めて、活用できるようにしよう」といったこと。「ちゃんと〜しよう、ちゃんと〜するべき」にあてはまるような内容だ。ちゃんと技術的負債の解消を見据えながらやろう、ちゃんとデザインコンポーネントを整理しておこう、ちゃんとOKRやろう…。
 この手のことは、取り組めていなくても日々のことは何とかなるのだが、その実は後々の影響が大きい事案だ。できないことにフラストレーションが高まりすぎたメンバーからチームや組織を去っていく。

(4) 「緊急度:低」 × 「意志:弱」

 こうした象限整理だと最も扱いが悪くなる(=「ここは優先度を落とそう」の筆頭にあがる)領域だが、何も考えてなく良いわけではない。むしろ、注意を持ってみたほうがよい。
 というのは、この領域は「組織が苦手とすること」あるいは「組織が気づいていないこと」に相当する可能性があるからだ。「重要性が低い」のではなく、あまり得意としていないゆえに、緊急性も意志も劣後させてしまっているだけかもしれない
 本質的に優先度を落とすべきかは、チームや組織の外からみてもらい、フィードバックを寄せてもらってからのほうが良いだろう。木を見て森を見ずに陥らないようにしたい。

 さて、この分類のうち、(2)(「緊急度:高」 × 「意志:弱」)と (3) (「緊急度:低」 × 「意志:強」) はスクラムの適用を考えたい。

 (2) 「緊急度:高」 × 「意志:弱」においては、スクラムが「何となくやらず終い」の機運を乗り越えるための原動力となる。その要因として、スプリントに基づく活動のプランニングと遂行、結果確認を繰り返す仕組みに乗るようになるからだ。ある意味で、活動への矯正力が芽生える。
 ただ、それ以上に「最初は徐行、徐々に活動密度を挙げていく」の調整を効かせられるところに妙がある。気がのらないものをいきなりトップスピードで始められることはまずない。
 自分たちの機運に合わせて取り組み速度を加減するところに、乗り越える工夫がある。あわせて、スプリントごとの「適応」を繰り返す中で、その機運自体を徐々に高まらせることも期待できる。

 (3) (「緊急度:低」 × 「意志:強」)においては、スクラムが割り当てる稼働の「調整弁」となる。こちらはそもそも進めていきたい機運が最初から高い。あとは、日常の他の仕事との割合をどのように取っていくかが要になる。
 最初は、過分に稼働を割り当てられないにしても、少なくともゼロにはしない。隔週で、この領域のテーマを考える時間を1時間でもみんなで取る。それから徐々に稼働の調整を効かせて、活動量を増やしていくようにする。
 最初に「やる時間がない」と置いてしまうと、常に可能性はゼロだ。隔週1時間でも、1ヶ月に2時間でも、取ることから始める。たかが1時間、2時間かもしれないが、この時点で「ゼロ」ではなく「イチ」だ。一歩を踏み出せることになる。

 最後にもう一つ補足しておこう。要は、(2)は「できればやりたくないこと(= 意志が足りない)」、(3)は「やりたくてもできないこと(= 時間がない)」ということで、一人二人ではそれぞれの不足を補うには余りある事案なのだ。
 だからこそ、チームで挑む。チームで挑むからこそ、足りない意志を支え合い、足りない時間を互いの拠出で補うことができる。スクラムで取り組む意義はここにある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?