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ワークショップにおける発散と収束、詳細と俯瞰。

 ワークショップとは、ある意図によって進行の手順が用意された、作為的な場である。一人ひとりが個別にワークして処理にあたるのではなく、複数の人間が同期的にワークを行うことで、個別の意見や発想を反映しつつ、一人では到達できないアウトプットを生み出すことを狙いとしている(これを創発と呼ぶ)。必要な人間が集まって実施するため、その間での意思決定も早められる。

 こうしたワークショップのコツには2つの観点がある。「発散と収束」そして「詳細と俯瞰」だ。

発散と収束

 議論、発想を十分に発散させてから、収束をはかる。この収束の時に、大量に出てきた意見をどういう順番でまとめるかが一つ大切だ。原則は、寄せてから名前付け。近しいと感じる意見を位置的に近づけるという行為をすべての意見に対して繰り返し行い、全体を編成する。

 これを先に分類するラベルを決めて、それに対して寄せるということを行ってしまうと、ラベルをつくった誰かの先入観に引っ張られてしまう。また、分類に対する個別の発見をあいまいな仕分けの中に埋没させてしまいかねない。

 「AとBの関係って、Cじゃないですかね」という見解は、「Dというラベルがある。AとBはそれにあたる」という進め方の中では検出されない。こうしたことは議論が以前から継続的に行われていたり、ワークショップが長くなると、起きることがある。分かりきっている、共通認識となっている(はずの)ラベルが、誰かから示される可能性が高くなる。

 ゆえに、寄せてから名前付けする場合も、安易に寄せてはいけない。何でもって近しいを感じたのか、言語化して表明してもらうようにする。そこに違和感があれば、疑問をあげる方が良いし、常に寄せ直しを行うようにしたい。

 こうした動きを捉えて、流れを正すことはファシリテーターに期待したいところだ。ファシリテーターはワークショップというジャーニー(旅)の、案内人であり、脱落者を出さないための伴走者と言える。ファシリテーターの個別の意見に全体を誘導しないよう注意が必要だが、プロセスに誤りがある場合は場の流れを巻き戻すことも躊躇してはならない。

詳細と俯瞰

 ワークショップでは、詳細の視点と俯瞰の視点を行きつ戻りつするのが理想だ。ワークに集中すると、基本的に詳細に寄って行ってしまうものだ。ワークショップを1本の木に例えると、議論は幹から伸びた枝の先端へと向かっていくようなものだ。枝の先までいくと、辿ってきた幹、枝が何だったかを見失いやすい。その結果、議論がデットエンド、どこにもいけず失敗することもある。ワークの参加者は状況に熱中して、このことに気づきにくい。

 議論を深ぼりつつ、時に全体を俯瞰して、見直し、新たな発見や方向性の誤りを検知したりするなど必要だ。議論を一旦幹に戻すような行為だ。こうした示唆もファシリテーターに求められることであるが、ファシリテーターも詳細の議論の展開を支援していると、事態に気づけないことがある。議論が複雑だったりすると、ファシリテートの負荷が高くなり、起きうる。

 だから、ファシリテーターをあらかじめ2人用意しておいて、詳細役と俯瞰役、位置的には前衛と後衛という仕立てにしてしまうのも一つの作戦だ。前衛が、参加者とともに議論の展開をファシリテートし、後衛がまさに後方から全体を俯瞰しつつ、方向性の調整を適宜行う。後衛は、前衛ファシリテートの支援者と言える。一人の人間がこの視点変換を行い続けるのは、ワークショップの濃度が高いほど難しい。

 なお、場のファシリテート自体は、前衛後衛のうち前衛に統一した方が良い。前衛と後衛それぞれから直接ファシリテートが入って、その意見が異なった場合、参加者に戸惑いが起きてしまう。緊急の場合を除いて、後衛から前衛に伝えて、前衛が判断し、全体の場をファシリテートする、というのが理想に想う。

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