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その「仮説検証」は本当に必要なのか?「世界」の捉え方で仮説検証の意義は変わる。

 こういう話を書いた。プロダクトオーナーには「参謀チーム」が必要である、と。

 この話を、もう少し掘り下げてみる。ある領域においてのみ成り立つ専門知識のことをドメイン知識と呼び、その領域のことをここでは「あるドメイン世界」と呼ぶことにしよう。
 あるドメイン世界の外側には広大な領域が広がっており、切り取り方によって領域をどう呼ぶかが定まる。すでに確立された領域もあれば、新たに見出し、定義する領域もある。こういうイメージ。

 あるドメイン世界におけるプロダクト作りを行うとする。たいていの場合、その世界で何かを仕組むのにベースとして知識が必要となり、その獲得を何らか行うことになる。この知識獲得を「調査」や「仮説検証」で行う。

 あるドメイン世界の外側から、ドメイン知識を得るための手段として「仮説検証」が本当に適しているかは一考せねばなるまい。
 獲得しようとしているのがドメイン世界側にとって「既知」となる知識であるならば、すでに会得している「世界の住人」に教わる方が早い可能性がある。あるいは、その世界の住人を巻き込んで、ともに考える、という取り組み方が望ましいかもしれない。

 一方、世界の住人自身も、ドメイン世界の隅々まで理解できているわけではない、あるいは世界自体が変わっていることに気付いていない場合は、「まだ発見されていない知」が存在することになる。この場合は、仮説検証が必要になる。

 世界の住人とともに探索することが望ましいこともあれば、そうではない場合もある。長く同じ場所に居るとものの見方が固定化され、「見えているけども見えていない」という状態が容易にありえる。「見えていないもの」には価値があまり無いと見なされやすい。
 ゆえに、世界の住人とともに探索は行うが、住民の「視界」に依存しきって探索すると、もともと「見えているもの」をただなぞるだけの活動になりかねない。そうして分かることは「既知」の知識なので、成果に乏しい。世界の住人からすれば仮説検証なんて意味が無い、ということになる。
 先の「参謀チーム」は、あくまで視点は探索者(プロダクトオーナー)に置く。「自分が見えているもの」が、世界の住人からはどんな見え方になるのか、そのフィードバックを得るための手段が「参謀チーム」にほかならない。

 さて、この話はここで終わらない。仮説検証の醍醐味とは、あるドメイン世界から外に向けていくところにあると考える。外の世界への「越境」、そこにまだ見ぬ価値があり得る。

 あるドメイン世界の知識に立脚しながら、外の世界で価値を仮説立てる。いわんや外の世界とは、世界そのものであり果てしなく広大である。ゆえに、あるドメイン世界に隣接する世界からあたっていくことで、「勝ち筋」との遭遇を期待する。
 つまり、あるドメイン知識を前提とすることで、別の世界での新たな価値を見いだす。そこではより「見えないもの」が多い探検に近い仮説検証となる。
 たいていの場合、自分たちが「新たに認識した世界」とは、あくまで自分たちの知に基づくものでしかないので、そこにはすでに住んでいる人たちがいる。そこでも、「ともに」を始めよう。

 新たな価値の発見は知と知の出会いによって導かれる。そうやって、僕らは世界を広げていく。

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