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個人化→共同化→標準化→統合化ジャーニー

 仕事の話。特に、プロダクト開発からの知見。私の会社は全員リモートワークが基本。それは社内に限らず、社外のメンバーも同様だ。この状況でのプロダクト開発をもう5年運用していることになるが、初期はどう運営したらいいものか試行錯誤の度合いの方が大きかった。

 プロダクトをつくるというのはそもそも簡単な話ではない。つくること自体当然技量が必要であるし、かつそれをチームでつくっていくのでプロセスやコミュニケーションも重要になる。意味のあるプロダクトをつくるにはステークホルダーとの協業が欠かせないし、そうした総体のリスクマネジメントも必要だ。

 ということを、お互い離れた環境で上手くやる。それも、複数同時のプロジェクトについて。メンバーにはメインで関わるプロジェクトが複数にならないように気を払うが、おおむねプロジェクトは並行することになる。私は5本以上かかえたときにそれ以上数えるのをやめた。それでも、原則は正面は1つだ。他のメンバーと重なりを持つようにして、他の仕事では側面となって他のメンバーを支援するフォーメーションを取っている。それでも、時々思う。まるで曲芸のような仕事ぶりだ、と。

 こうなると、一人ひとりの担う責任と権限が自ずと大きくなる。それはそうだろう、リモートワークで、いちいちプロジェクトの細部について、私に問い合わせているほどプロジェクトに与えられた期間は気長なものではない。その方針は、仕事にスピードを与えるものの、一方で個人化が進む。思い思いの仕事の進め方をする。プロセス、コミュニケーション、マネジメント、技術。多様性が高まる。まさにサファリパークの様相だ。

 個人化は、昔の言葉でいうといわゆる「個人商店」に近くなっていく。同じ組織にいながら他者との絡みがへる。組織の中で、共通とする認識、言葉が減っていく。行き過ぎると、同じ組織で居る意義が失われる。昨年はこの状態が進んでしまって、他のメンバーのプロジェクトを定例会で共有してもらっても、状況の理解に時間がかかる事が多くなっていた。

 このままだといつか事故が起きてしまう。そこで、いくつかのプロジェクトをピックアップし、私が正面を取り、メンバーに入ってもらう、そしてプロジェクトの運営について改めて体験してもらうことを意識的に行なった。

 クライアントやステークホルダーと協業する場合、たいていプロダクトオーナー的なふるまいを求めるのは難しい。こちらが「代行」として専門的な部分は巻取り、意思決定を委ねるようにする、やり方。プロダクトバックログ(やるべきこと)の管理とプロジェクトの状況の可視化のやり方。スプリント(仕事の期間を一定期間で区切り、反復的に繋げる)の運営のやり方。期待マネジメント、リスクマネジメントのやり方。などなど。プロダクト開発におけるすべての行為に、理由や意味がある。それらを、すべて言語化するのは不可能に近いだろう。できることは時間を共にすることだ。仕事の共同化だ

 時間を共にするとやり方について、その外してはいけない原則的なふるまい、やっておくべきこと・やってはいけないことがプロジェクト同士で合ってくるようになる。そうして、仕事の標準化が進む。標準化というと、形式についての厳格な取り決め、というのがひょっとしたら一番に思い浮かぶ言葉かもしれない。そんなことをする気はない。形式知化のやり方を縛り上げるような標準化ではなくて、野球のピッチャーが鏡に向かって自分の体の使い方を観察して、投球フォームを整えるようなものだ。原則を体験的に学んでもらう。自分の色をだすのは基本を作ってからで、遅くない。

 さて、さらに先がある。標準化が進むと、統合化がしやすくなる。標準化すると他のプロジェクトの状況の捉え方、進み方の予測がある程度つけられるようになる。プロジェクトを越えて、コミュニケーションするための共通言語が整うわけだ。個人商店からプロジェクト商店にならないように、横断的に交流する場を設ける。具体的には週に1回集まって、各プロジェクトの状況、課題、リスク、そこで得られた知見について言語化、共有する。

 最初は状況の共有だけで時間がかかるものだが、週次のサイクルをまわしているうちに「前回からの差分」でコミュニケーションが通じるようになる。共有だけの時間は短く済むようになる。ここからが組織でやる仕事の楽しいところだ。他のメンバーは知らない自分だけが知っていること、新たな知見の共有。技術やプロセスの方向性、次に実験すべきことの議論。この週次の場のことを、われわれ流の「スクラム・オブ・スクラム」と称しているが、カイゼン・ジャーニー的にいうと「ハンガーフライト」にほかならない。

 こうして、仕事は再び各プロジェクトでの新たな試みへと繋がる。個人的な体験として、試行錯誤、深まっていくことになる。大丈夫、今度の個人化は、統合化へと繋がっているのだから。ばらばらに迷子になることはないだろう。ここまで書いて、このサイクルまさにSECIモデルを思い起こさせる。だが、大事なのは、最初からモデルありきで、現実をモデルにあわせることではなく、現実の自分たちの状況にあわせた一歩一歩の変遷(ジャーニー)の方である。一般的な結論に自分たちを無理に合わせるより、余程面白い発見が、そこにはあるだろう。

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