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動物園型組織からサファリパーク型組織へ

 ある日、社内のメンバーと話していて面白いメタファを耳にした。われわれはまるで「動物園」のようだという。動物園にはお猿さんや、馬や鳥、魚類も居る。種の多様性がそこにある。会社に集まった自分たちも多様だという。確かに、プログラマーもいれば、ユーザー体験の専門家もいれば、プロジェクトマネージャーもいる。現場のコーチだって居る。職務で見ると、幅が広い。小さな動物園だけどその多様な生き物を預かる園長は大変だぞを、その時はオチにして終えた。

 しばらく経ってから、自分たちのあり方としては動物園より「サファリパーク」なのではないかと思うようになった。動物園の動物たちは観客に危害が及ばないように鉄格子の檻の中に入れられている。この鉄格子はいわば組織の法だ。組織には意思疎通、相互交流を促すためのルールが必要だ。だが行き過ぎると統制された秩序のために組織や個人が存在している、ということになってしまう。

 私は、いくつかの大きな組織でそうした息苦しさを堪能してきたので自分たちで会社をつくるときは極力、決めごとをなくそうと決意して始めた。だが、リアルな職場がない全員リモートワークの環境下では、決めごとに欠けるとお互いの生息場所も息遣いも把握できない。混沌の度合いが深まっていく。いわば密林のジャングルの中で思い思いで生きているようなものだ。

 なので、昨年はSARという決めごとをつくった。Sは共有のShare、Aは表明のAssert、RはふりかえりのReflectだ。頭を取ってSARと言うようにした。共有とふりかえりが大事なのはよくある話だろうけども、表明をあえて入れているところがリモートワーク組織ならではだろうと思う。自分の考え、意思を自分から発信する、伝える。ということを意識的にやらなければ、リモートワーク環境下ではたやすくお互いが見えにくくなってしまう。SARがどれだけできているかを振る舞いの基準に置いた。以前よりも、個々人の考えや意見が流通するようになった(ちなみにSARという標語はUNIXのシステム動作の監視コマンドに倣った。組織の状態を観るための合言葉だ)。

 さて、こうした決めごとはあるものの、自分たちの組織(会社及びギルド)の中に鋼鉄の鉄格子は存在しない。だが、見えない檻は人によって存在する。その檻は以前いた組織、その人の過去の経験から存在してしまう、本人にしか見えない前提、理解である。これに囚われたままだと、意思疎通が上手く取れず、息苦しくなり、自分を追い詰めてしまう。そんなときは個別の対話が重要で、1on1(1対1)で状態を聴く

 サファリパークのイメージは「統制されたカオス」だ。物理的な環境に縛りがない。制約の中に自由があるのではなく、自由の中に制約(決めごと)をつくっている。そこでは、やることに応じて、必要なチームを組む。適材適所という言葉の代わりにわれわれは適時適チームという言葉を使う。とはいえ、野放図でやって成果があがるほど仕事は優しくない。サファリの中でお互いに喧嘩したり、居場所が分からなくなったりしないように、先に挙げたSARのルールや、Working Agreement(一緒に仕事する者同士として合意しておくこと)を確認する。檻も、房も、それを管理するだけの人もいない。

 サファリには、時々バスがやってくる。バスからサファリの様子を眺めにくる。何事もなくバスが通り過ぎることもあれば、あろうことか安全なバスから降りてくる人もいる。気がついたら、一緒にサファリで暮らしている。そういう物好きたちで今まで見たことがない風景を見に行こうというのが、これまで仲間とやってきた会社ギルド。この場所が、剥製になって陳列させられる博物館にならなくってよかったと思う。

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