組織の中に「アジャイルハウス」を建てよう

 開発だけではなく、組織の運営にアジャイルを適用する。この試みを、DXの文脈で同時多発的に取り掛かっている。日々どこかでスクラムを立ち上げて、スクラムイベントに相当することを毎日手掛けている。

 この20年の中で、最もアジャイルへの手触り感があると言っても過言ではない。そのくらい、日々がアジャイルになってきている。

 折に触れて、10年待たずしての引退を口にしてきたが、この日々を見る限り、本当にそんな日が訪れるのかと思う。手放そうとしたら、必要に迫られる、若干の皮肉さを感じる。

 組織の運営でアジャイルに取組むということは新しいアイデアというわけではない。「チーム」としての動き方・習慣がアジャイルというやり方、あり方なのだから、チームの延長線にある「組織」で同じように考えるのは自然だ。

 ただし、今、DXで向き合っている「アジャイル」はこれまでのアジャイルとはまた異なっている。伝統的な、あるいは大きな組織で、その運営としてアジャイルを持ち込む際の狙いは、カイゼン、磨き込み、深化といった観点が前提だった。

 それはそのはずで、今になって「両利きの経営」の必要性が叫ばれている時点で、状況は明らかだ。日本の伝統的な組織において、仮説検証、機動的な判断、探索といった能力が育ってきていない。

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 そう、だから、DXの文脈で私がより手強いお題目に置いているのは、「深化のためのアジャイル」ではなく、「探索のためのアジャイル」のほうだ。

 選択肢を絞り込み、確実性を限りなく高めるための仕事ではなく、選択肢を増やし、広げ、その上で機動的な判断と行動が必要となる仕事のために。

 いまや、コロナ禍をわかりやすい例としてあげられるように、これまでの仕事のあり方自体が根本的に問われる局面にわれわれはある。こうした局面では自ずとどうあるべきか、探索を試みなければならない。つまり、既存業務か、新しい業務なのかといった分けでは整理できない、複雜なあるいは混沌とした状況にある。

 一方で、深化のためのアジャイルが不要になったわけではない。むしろ、ここも足りていないし、段階的には必要にもなる。深化と探索のアジャイル、この関係は「建物」に喩えられる。

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 建物にたとえるなら1階部分が深化のためのアジャイル。見える化、カイゼン、チームによる活動を支えるために必要となる段階。その上で、より探索的な活動、新たな発見に対する適応のすべとしての2階があるイメージ。

 いきなり、1階を飛ばして、2階にいくのはハードルが高い。1階部分で、チームとしての活動の仕方、状況や課題の見える化が鍛錬されていなければ、より機動的な動きをチームに求めるのは困難だ。

 もっというと、建物を支える基礎が地中には必要になる。アジャイルというあり方の前提にある価値観、ものの見方、考え方、この部分が脆弱だと、上に立てていく「アジャイルハウス」も不安定になる。建物の目的があいまいになったり、誤った期待が過大になり作っていく最中で倒れてしまいかねない。

 気づいたかな。

 1階だけで良い仕事(深化)も、2階まで必要となる仕事(探索)もある。でも、いずれにしても支えとなる考え方は、同じく前提となる。人と人とが協働して仕事にあたるために基本として必要となること。

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