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アジャイルの「氷山モデル」 (プラクティス、原則、価値観)

 アジャイルを取り入れていく、という話。まず、取り掛かりになるのは「プラクティス(方法や手順)をはじめてみる」ということが多いだろう。そこで、多くの人が語っているように「単にプラクティスをコピペするだけでは上手くいきませんよ」という観点が取り沙汰されることになる。

 とはいえ、プラクティスへの最適化が無条件に行われてしまう、ということは未だよく見かける状況だろう。なぜだろうか。それは、
(1) プラクティスは具体的な活動なので目に見えやすく、理解しやすい
(2) プラクティス以外の何に留意すれば良いかが分からない
(3) 留意点が分かったとしても具体的にどう捉えていけばいいかやはり分からない

といった、あたりが要因だろう。

 氷山モデルになぞらえると、プラクティスは表に見えている部分。その下支えに、原則、価値観が存在する。価値観とは、ものの見方。原則とは、そのものの見方をプラクティスとして実現する際に、前提として置くことである。

アジャイルの氷山モデル

 アジャイルはいくつかの流派が存在するが(スクラム、XP、リーンなど)、たいていの場合プラクティスだけではなく、価値観や原則の定義が示されている。どの流派にしても、まずもってどういう価値観や原則が土台として存在しているのか、立ち返っておこう。

 こうした原則や価値観がチームとしてどのくらい留意し、体現できているか。ふりかえりの観点に加えてみると良いだろう。例えば、スクラムの5つの価値基準について、よく実現しているところ、弱いところなど、ふりかえりの際にその流派における価値観・原則に向き合ってみる。

 こうした価値観、原則に立ち返らない場合、つまりプラクティスだけなぞっている場合、取り組みはいつか壁に突き当たる。手順通りやっているが、結果が振るわない、そもそもフィット感がない。手順に踊らされているような感覚が強くなる。この状態がそのままになって、進んでいくと、やがてアジャイルから離れていくことにもなるだろう。

 実際のところ、たとえ価値観・原則の重要性を捉えられていたとしても、これらを宿していくのは容易ではない。観念的な内容を日常の活動において具体的にどのように踏まえば良いのか、わかりにくい。価値観、原則を学び、それをプラクティスを通じて実現していこうとすると、実践は想像に依りながら、なおかつ、踏まえるべきことを踏まえようと、ぎこちなくなる。もちろん、そうした時間は一定必要ではある。

 一方で、逆にプラクティスの実践から学び直すという流れもある。プラクティスに取り組み、その「行為のみ」を対象として改善をしはじめると、目先の修正に終始し、原則・価値観に立ち返ることが無い(そうした改善はいわゆる「シングルループ」にあたる)。

 ゆえに同時に、
・「そもそもどういう原則に則ることで上手くいくのか」
・「そもそも意思疎通を高めるに期待される価値観とは何か」

についても、問うようにする。こちらは背景、前提への問いかけとなる(いわゆる「ダブルループ」にあたる)。

 プラクティスを実践しているため、具体的な「体験」が手元に存在することになる。この「体験」があることで、「どうすればもっと?」の想像、その想像をテストする材料にもなる(「こうすれば良い?」→「いやいや現実には…」)。逆に「体験」がないと、想像をそのまま適用するしかない。そうなると、次の適応(やってみて学ぶ)までの時間がかかることになる。

 氷山の頂きに留まることなく、原則、価値観へとチームで降りていこう。その時の手がかりは、自分たち自身の体験の中にある。

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