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組織には、「他人ごとで、関心を持つ」

 自身で会社を立ち上げたとき、会社は自分と一心同体の感覚だった。この会社の生き死には自分にかかっているし、自分こそがその任を果たしていくべきなのだ、と。そういう気概は、他のメンバーにも当然伝わる。

 そういうつもりでやっていった結果、上手く行ったところは大きい。会社はくじけることなく、前進を続けていった。もっと先へと進むために、メンバーにも期待する、「自分ごと」であることを。

 会社やチームのことを自分ごとで捉えようとする。その方が当事者意識が高まり、仕事や活動に良い影響を与える。言葉に出さなくても、当然のように考えていた。

 目の前の仕事については、自分ごとで打ち込むことで得られる利点は多い。仕事の質をあくまで問い続けて、細部までこだわりを持てるようになる。互いが自分ごと感をもっていれば、それぞれの工夫を持ち寄り、より良い結果を生み出す可能性が高まる。

 一方、組織のことを自分ごとで置くと、「自分の思い通りにしよう力学」が働きかねない。「自分ごとで考えて、この会社、チームのふるまいとしては、こうあるべきだ(なぜなら、私はそうするから)。」

 組織の中のふるまいについて事細かい規定がないからこそ、それぞれの考えや行動が暗黙的に許容され、引き出すことができる。そうした中で、「組織メンバーのふるまいとしては、当然こうあるべき(自分ごとで考えたら当然でしょ)」は、あいまいだった状況(だからこそ関わりが持てた状況)に、確固たる幕を引いてしまいかねない。

 つまり、誰かの自分ごと感は、他の自分ごと感の出る幕をなくしてしまう

 組織がその組織の外側からも、内側からも必要とされ、持続していくことを考えたら、それこそ自分自身が組織を何らかの理由で離れるときのことを想像したら、「誰かの自分ごと」で満たしてしまって良いのか?という問いが頭をもたげた。

 おそらく、組織については、「他人ごとで、関心を持つ」くらいがちょうど良い。他人ごとだけでは円滑に協働はできない。だから、自分たちがやっていること、自分たちの見え方について関心を持つようにする。この立ち位置が、結果的に「ゆるやかな自分たちごと感」を形成するように思う。利他寄りに立ったほうが、自分の執着を乗り越え、選択肢を広げていける。

 最初から、自分たちごと感を求めるのはどうだろう? 小さな組織では最初から成り立つだろう。だが、「自分たち」の中身には予測できない広がりがある。自分たちに後から加わる人たちとの間で、それまでの「自分たちごと」と、「その人の自分ごと」をあわせていくことになる。

 先の「自分たちごと」にあわせよ、という組織もあれば、時間をかけて、あらたな「自分たちごと」を生み出し続ける組織もあるだろう。おそらく、どれか一つの方向性ではなくて、織り交ぜながら方法を選択していくことになるだろう。

 もう一つ、これからの組織のあり方から付け加える。この先、「全員が同じ場所で同じ時間を過ごす」働き方から離れていくほど、自分ごとを期待するのが難しくなっていく。意識的な他者からの関心を必要とするようになる。そうでなければ、なぜ、その組織で一緒にやっているていを取っているのか、分からなくなってしまう(「個人で良いのでは?」)。互いに関心を持つことは、「組織」を保つための最後に残された砦になる。

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