関心の不在化

 リモートワークの度合いが高ければ高いほど組織の運営は難しい。何が難しくするのか?私は関心の不在化だと思う。

 同席していても、お互いが何やっている何者なのかという関心が弱まっていく(これを題材にしたのが書籍「カイゼン・ジャーニー」だ)。リモートワークだと尚更その方向性が強まる環境が整う。ふと視線を外してもそこに同僚はいない。

 チャットツールにメインコミュニケーションを頼った現場だと、言語情報以外の何かが無意識に自分に入ってくることはない。誰かがわざわざ表明した言語情報だけが頼りになる。「そういえばあいつはどうしているだろう?」という他人への関心が優先度を上げて浮上してくるきっかけが少ない。そうなると単純接触回数の高い事案や人に自分のマインドは占められ、それ以外のことに思いが向かなくなる。何気なくあった「ふと視線を外す」という行為が消失する。

 互いへの関心が希薄になった組織の価値は、ほとんど無い。わざわざ会社法に則った形態を取る必要性が無くなる。

 「他者に関心をモテ」と言ってそうなるほど単純な話ではない。ただでさえ仕事は忙しい。リモートワークとは環境的には個別の塹壕に入っているようなものだ。人の意識に頼らずにそうあるためには何らかの仕組みが要る。定期的な同期の場の設定。より小さなチームづくり(関心の対象を減らす)。ときに濃密な関わり、合宿の開催。こうした取り組みをして、ようやく環境的な最低限の条件が揃うという感じでしかない。

 同期や合宿の場で問いたいのは「私達はなぜここにいるのか?」。他ならぬ自分たちが他ならぬこの組織に集まっている理由とはなにか。そもそも、ここに自分たちなりの回答がなければ、いくら取り組みをはじめたところで持続しない。


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