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何のために目標を立てるのか? もちろん、自分の為ですよ。

 「1日1日での変わりようが大きいため、いわゆる「目標を立てる」なんてムダなこと、時代遅れだ。これからはPlan重視のPDCAではなくて、適応重視のOODAでしょう。」

 と、言うのはまた極端な話。目標を立てることは今も、必要なこと。何のために目標を立てるのか?もちろん、自分の為ですよ。

 目標なんて要らない、とするならば、ふりかえって「意図した行動が取れているか」を観る。ある結果を期待して、求められる行動。そもそも、その行動が取られていなければ結果が出ることはない。

 行動できている、とするならば、ふりかえって「思うような結果が出せているか」を観る。期待する結果となっているかどうか。もし、思うような結果が出ていなければ、行動を変える必要がありそうだ。

 結果も出ている、とするならば、ふりかえって「成果としてあがっているか」を観る。行動できているし、結果も出ている。だが、それが成果に繋がっているか。例えば、コードを書けば、動く機能が増える。では、その機能はユーザーの役に立っているのか。機能だけ増える一方で、ユーザーの用をなしていないのは「成果をあげている」と言わない。

 それぞれ順に、行動の精度結果の精度成果の精度を観ていることになる。ふりかえりの観点として用いる。期待と実際との間に差分があるようであれば、その精度を落としている要因を見つけにいく。成果がダメなのは、的はずれな結果を生み出しているからかもしれない。結果が出ないのは、行動が間違っているのかもしれない。

 これだけでも3つの変数がある。3つの変数が、いい感じで噛み合って、総体として期待どおりに機能しているかを、そらで観ていくのは難しい。だから、自分のために基準を言語化して、分かりやすくしておく。これが目標だ。

 こう考えると、チームのためにチームの目標を立てた方がよいということに気づく。それから、求める成果が変われば、期待する結果も行動も変わるため、その精度を測るための目標も変えなければならないということにも自ずと気付ける。めざす成果が変わっているのに行動目標を変えないままで運用する、では日々の活動を間違いかねない。

 人は日々のことに流されていきやすい。はからずも、的はずれな活動に熱を上げてしまっているということは珍しいことではない。自分の認識を過信しすぎず。むしろ認知の負荷を減らすために、目標という基準を外在化しておく

 全員リモートワークのような状況だと、なおさら期待する活動にそもそもなっていなかったということがおきやすく、かつ是正する力学が働きにくい。とはいえ、仰々しく目標を設定するという場合でもなければどうすると良いだろう。次のことが成り立つかを少なくとも観ておこう。

「(期待する成果)のために、(出したい結果)を目指す。そのために(必要な行動)を今日はやる。」

 例えば、朝会で「今日何をするか?」の質問に全員で答えているかもしれない。そのとき、ただ漫然とするべきタスクを口にするのではなくて、「どんな成果のために、何を実現する必要があるのか、そのためにやるべきことは何なのか」という短い確認を個々人で、あるいはチームで言語化すると、期待違いや間違いに気づく機会をつくることができる。

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