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DXとは「1980年代の呪縛」を解き放つこと

 DXとは何なのか? 問い直す度に、その形を変えていく。

 あるミーティングで、何気ない流れの中である人が言った「DXとは組織を変えることだ」と。その言葉が特に何の違和感も、言い過ぎ感もなく、その場で受け止められて、皆の血肉となるよう消化されていく。凄い時代を迎えたと思った。

 組織を変える。経営からマネジメント層、現場まで、気負いなくその言葉があげられる。もちろん突きあげられるような危機感とともに、その言葉が口にされる組織もある。いずれにしても、単なるフレーズではない。大いなる共通の目標となっている。

 20年前、10年前、それぞれの断面の記憶を呼び起こしても、そんなことは無かった。自分の過去を辿ると現れるのは、ボトムアップでの「組織を変える」活動の記憶。現場で、現場のみで、課題意識を高めて、組織が変わることを疑いもせず、場を作り、コミュニティを運営していた日々。遠い、遠い日々。

 あの時の活動が、実を結んだのかというと、そうは言えない。そうした現場の動きは組織に歓迎されながら、しかし、結果として組織自体を変えるまでには至らなかった。むしろ、変わったのはその手の活動を主体的に行っている当事者の方だった。多くの場合、組織に見切りを付けて去ってしまう。

 20年かけて、日本の組織はまさしく一様に変わるときを迎えている。国も、地方の企業も、大企業も。仕事柄、実に様々な組織に関与する。日々ビートを感じている。どの腕を取っても、力強い脈を打っている、そんなイメージ。

 で、組織の何を変えるのか? 事業、プロダクト、サービス、プロダクト作り、業務、体制、評価、文化...。これも、はっきりとしてきた。変えるのは、組織の一人ひとりの思考性と行動なのだ。

 伝統的な組織なほど、同じ傾向が存在する。両利きの経営でいう「深化」のための思考と行動。つまり、仕事のルーチン化、さらにルーチン化された仕事の改善、洗練、この方向性のケイパビリティを日本の組織は何十年とかけて磨いてきたと言えるのだろう。

 私も20年のキャリアなので、それより昔のことは知らない。しかし、今組織に残っているもの、拠り所になっているもの、日常の仕事を支えているのは、深化の思考と行動への最適化だ。この方向性には、根本を問い直すような他の選択肢を挙げる、そもそものWHYを考え直す、といった動きはエラーとなる。そんな思考、行動を取ろうという選択肢自体があがらなくなる。

 そこに、「探索」のための思考と行動という選択を増やすことが、DXのなのだと確信している。不確実性の高まった時代...などといった曖昧模糊な表現を頼りにするまでもなく、コロナ禍はこれまでの仕事のあり方を一変させることになった。組織を取り巻く環境は、感染症だけではなく、海外企業との競争の中で、あるいは業界ディスラプターの存在そのものによって、揺さぶられ、安定性を失っている。

 そうした中では、従前の計画をきっちりムラなく仕上げて切ることよりも、状況の把握、状況の変化に適応して次の行動を取れるケイパビリティが求められる。深化のケイパビリティを捨てよという極端な話では決してない。ただ、おそらく日本の組織が強かった時代(1980年代)にかけられた、改善と洗練こそが評価の全てという深化の呪縛。これを解き放つことが今の時代の「組織を変える」ということなのだと思う。

 どうやって? その鍵はこれまでのジャーニーに既に現れている。変化に適応するための仕事のあり方とやり方、もちろん「アジャイル」。この国は、アジャイルをエンジニアリングから組織へと適用する段階を迎えている。組織がそれを必要としている。20年も前から、アジャイルとともにあった身からすると、それがどれほどの状況変化と感じるか。

 この先には、もはや希望しかない。

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