アウトプットと、アウトカムと、インパクト
引き続き、ソフトウェアと、プロダクトと、システム(系)を巡る話。
プロダクト作りにおいては、「アウトプット(結果)とアウトカム(成果)」が論点としてよくあがる。「アウトプットがあるかどうかだけに意識が向いていないか」「アウトカムに繋がるアウトプットや諸活動になっているか」という問いだ。
文脈としては
「単なる出力結果(機能開発)」vs 「アウトカム(ユーザー価値)」
や、
「収益」vs 「アウトカム(ユーザー価値)」
といった二項で議論されることが多いだろう。「ユーザーにとっての価値」が比較対象とあげられるのは、目先のアウトプットや収益が優先され、置き去りになっていることが多いからだ。
この視点は重要だ。ただし、アウトプット(と収益)がどうでも良いというわけではない。一方を立てるために、もう一方を貶める論法に陥らないように注意したい。
多くの場合、アウトプットを利活用するからこそアウトカムに至る。つまり、アウトプットがなければ、アウトカムもなにも話にならないのである。さらに、アウトカムの前にはアウトプットのクオリティなど二の次で、単なる手段でしかないから云々という見方もあぶない。アウトカムを持続させるには、確かなアウトプット(のクオリティ)が前提になる。
「アウトカムに繋がるアウトプットとは何か?」を探索している段階なのか、「アウトカムを持続させるためのアウトプットとは何か?」を突き詰めている段階なのか。何を問うべきなのかが大事だ。
さて、アウトカムの先にもう一つ概念がある「インパクト」だ。
インパクトの定義もゆらぎやすいところがある。私は、以下の定義に基づいて捉えるようにしている。
インパクトとは狙って発生させる成果を超えた「波及的間接的な成果」を指す。つまり、成果というよりは「影響」である。営みとしては、ポジティブな影響を及ぼしたい。そのために、その前提となるアウトカムをもたらしたい。そうした構図をイメージする。
これを、ソフトウェア、プロダクト、システム(系)の概念にあてはめてみる。
ソフトウェアは、アウトプットであり、プロダクトによって、アウトカムを目指し、システムとしてのインパクトを期待する。
ここでいうシステム(系)は、地域医療であったり、少子高齢社会であったり、あるいは伝統的大企業(組織)もその範疇に入る。複数のステークホルダーが多様に存在する構造のことを指す。特定の人物、組織、機能だけでそれらを一元的に管理しより良い状態を作り出していく…ということが現実的ではないからこそ、システミック(全体的な)なアプローチが求められる。
プロダクト作りの先に何を描くか? それにどう答えるのかは、チームや組織が掲げる、より根源的な「われわれはなぜここにいるのか?」への回答次第だろう。その他の誰かが、決めることではない。