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子ども百面相。

子どもが生まれると、脳内でまず最初に行われるのが

『誰に似てる論争』

色んな角度からじっくりと凝視し

「ここはワタシに似ている」

「でもここはツマに似ている」

「あ〜、でもよく見るとここは…」

どっちに似ててもいいんだけれど、ついついこんな事を思いながら眺めてしまう。


この『誰に似てる論争』、自分の脳内だけで行っているうちは夫婦どっちに似てるか程度のものだが、参加者が増えれば増えるほど話しは細かくなっていく。

「この耳はおじいちゃんに似ている」

「でも、この足は叔母に似ている」

「いや、この背中の産毛の感じは…」

ここまでいくと、似てると言われも全くピンと来ないレベル。

誰に似ててもいいんだけれど、ついついしてしまう『誰に似てる論争』


子どもの顔は、面影を残しながら面白いほどに変化する。

夫婦それぞれの祖先からの遺伝子が子どもに受け継がれ、そして各パーツが出来上がっていくと思うと本当に神秘的な事だ。

誰にでも似ている可能性がある。

だからついついやっちゃうんだろうな。


そうは言ってもムスメが生まれる前は、やはりツマに似て欲しいと思った。

『女の子はママに似た方がいい』とずっと思っていた。

そして長女は表情を変化させながらツマに似て育ってくれた。

それから次女を授かり、生まれる前はまたツマに似て欲しいと思った。


この時のワタシはまだ何も知らなかった。

子どもの顔が自分に似る喜びを、ワタシはまだ知らなかった。

だからそんな事を思ってしまっていた。


次女は成長と共に表情を変え、だんだんとワタシそっくりになってきた。

ワタシはワタシに似た小さな女の子を抱き、ただただ感動した。

これも父親になり初めて感じた喜び。

『女の子はママに似た方がいい』なんて考えは、もう全くない。


『パパに似てる』

そう言われる喜びをワタシは知った。


子どもの顔は、面影を残しながら面白いほどに変化する。

これから先どう変わっていくかは分からないが

どう変わっても、誰に似てても

我が子っていうのは本当に可愛いもんだ。

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