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ほめられるために、生きていく

「過去イチうまかったで、ホンマ」

パン作りを始めて2年半、のべ100回以上作ってきたなかでの過去イチだそうだ。

日曜日に焼いたのは、スモークチーズとホールのブラックペッパーがゴロゴロ入ったカンパーニュ。

はっきり言って、赤ワインに合うはず

相変わらず成形にてまどったりふくらみがイマイチだったり、作り手としては減点ポイントはたくさんあったのに、いつも辛口の奥様からはなぜか最高の評価をいただいた。

パンのおすそ分けをすると、だいたいみなさん「すごくおいしい」って言ってくださる。

そこには、シロウトが作ったにしては、という声にならない枕ことばがあるということは理解している。

料理と違って、レシピを厳密に守らないといけないパン作りは、材料を取り違えるとか、そもそも入れ忘れるとかしない限り、シロウトの作るパンの仕上がりにそれほど大きな差は出ない。

プロが作るパンは、長年の修行や、何度も繰り返す試作の結果生み出されるものなので、たかだか2年の独学で街のベーカリーレベルのパンが作れるなんて言えば、プロの方から「パン屋なめんな」と言われるのがオチ。

だからこそ、本音で評価してくれる身内から「すごくおいしい」といってもらえるのは最大の賛辞。

年齢を重ねると、ほめられるということがどんどんなくなっていく。
できて当たり前、失敗すると白い目で見られる、ということばかり。

ほめられる、ということがどれだけうれしいことか。

そういえば、参加しているnoteのメンバーシップ「書く部」で、自分の書いたnoteを主宰のことばと広告さんに見てもらっている。

ここでは、基本的にダメ出しはなくて、ただただほめてくださる。

そう?ボクのnote、そんなにいい?

なんて、うぬぼれることはさすがにないけれど、第三者として冷静にいいと感じてくださったところをほめてもらえるのはとてもうれしい。

自分の書くnoteがうまくなっていっているかは微妙だけれど、このまま続けててもいいんだな、という自信にはつながっている。

ほめてもらえるってことは、喜んでもらえてる、ってことだよね。

さて、人生であと何回、ほめてもらえるようなことができるだろう。
それを目標に生きていく、ってのもおもしろいかもね。

大人だって、ほめられたらうれしいんだ。
大人だって、ほめられて伸びるんだ。


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