自分という人

昨年の9月、ぎっくり腰で寝たきりになった1週間をきっかけに「自分という人」を見つめて…
何度となく嫌いになって、こんな嫌な奴が、どこから由来なのかばかり思っていた。
時には神社へ行き、時にはお寺へ。
でも、どこにも「私という人」を擁護しようと思う自分はいなかった。
過去の嫌いな自分・・・
けれど、ここまで蔑んだ自分が時に可哀そうに思えて、解放してあげたくなる。

幼少期、実父と祖母からの身体的・心理的虐待にあっていた。
当時、母は仕事で祖母・祖父が私と弟の面倒を見ていたが、祖母は足が悪く私たちは朝から夕方まで柱にしばった紐に繋がれて、家の中の犬状態で育った。
足は悪いと言っても近所に出かける程度は出来ていたので、今考えると
虐待も虐待。
私は(4歳)紐をほどいては、弟(1歳)の紐までほどき何度も何度も怒られつねられ育った。
私の中では、弟を助ける(良いこと)一心でやっていた。
でも大人から(祖母・父)したら悪いこと、なのだ。

こんな大人になって思うこと・・・世間一般の良いこと、悪いことが私には分別ができない。
何が良いこと?何が悪いこと?

母も母で、「あなたたちは、柱に紐で縛られて育ったのよ~」と親戚連中を前に誇らしげに語る。(それでもちゃんと育った的な)
先日もまたその話を私にしたので、「笑って話すことじゃない!」と声を荒げてしまった。
私はその家族がずっと苦痛で嫌だった。

父の妹(叔母)のピアノを自宅に置けず預かっていたが…
子供ながらに触れたくて触れたくて…
弾けやしないけど触ると祖母に汚い!触るな!と言われる。
その叔母がシングルマザーで、赤ちゃんを連れて来たときは綺麗なちいちゃな赤ちゃん布団が用意され、子供ながら私も横になってみると、「汚い!どけ!」
と言われた。

夕飯時は、皆が揃うと今日の私の「悪事」を祖母が母に報告会となる。
それを聞く父が激怒、夕飯途中で泣いて食べれなくなり、泣きながら家を出ることは毎度毎度。(悪事=友達を勝手に家に入れたとかピアノを触ったとかレベル)

小学校6年のとき、祖母が他界。
なぜか私はホッとしていた。

中学になると部活が始まり、低身長なのになぜかバレー部に入った。
遠征は近郊は自転車だけど、私は子供用を少しだけ大きくした車輪の小さな自転車(叔母の下がり)で、他のみんなは大人用自転車。
全然付いていけなくて、そのうち仲間はずれにされ、「ひとり」という時間が多くなった。
クラスにも部活でのいじめの噂が広がり、噂で判断されてクラスでも「ひとり」
ここにも居場所はなくなってしまった。

何のために生きているのか?
休み時間、学校の片隅で立ったまま自分で自分の首を絞めてみた。
そしたら一瞬目の前が真っ暗になり、ふらっとしてしゃがんで我に返った。

なんのために生まれてきた???
今でも思うこと。

自分がよくわからない。
趣味は?
好きな食べ物は?
どこに行きたい?
誰と行きたい?

ずっと自分を「悪い人間」と思って生きざるをえないから、
自分て人がわからない。
自分に嘘ばかりついてきた。
自分を出すと悪い(悪い人だから)=相手に合わせれば良い(簡単)=正解

先日、友人のカウンセラーから言われた。もし私をカウンセリングをしたなら、かなりの時間を要するでしょう。
なんか納得。

割と、明るく誰とでも接しやすいと表向きは良い人を演じようと頑張ってきたけど(笑)
実は闇ばかりの私なんだけどな。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?