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家族は一番身近な他人

昨夜は夫婦でお酒を飲みながら、スガシカオのセカンドアルバムを久しぶりに聴いていた。

アルバムのタイトルは、「family」。その名の通り、家族をモチーフにした曲が色々と収録されている。

実際に子育てをして、それゆえの葛藤を経てから聞くと、このアルバムに漲る異様な緊張感に、戦慄を覚えるほどに、惹き込まれる。

僕らはいつか気付いてしまう、傷つけあって壊れてしまう、何もない日曜日の午後。というフレーズが冒頭曲のサビなのだが、昔から好きな曲だったし、ギターのコードもまだ覚えているくらいなんだけど、聞き返すと、これがもう、痺れた。

弛緩した時間にふと訪れる緊張。普段は互いに蓋をしていた心の奥底にある火薬庫。気を抜いた瞬間、点火スイッチを不意に押してしまいそうな、不穏さ。

親とか兄弟って、肉親という言い方もあるぐらいに、自分の分身みたいに思うこともあるが、実は、単なる他人なんだというのが、昨夜の結論。最も身近な他人。

たまたま性格的な相性が良いこともあるのかもしれないが、もしかしたら、そうじゃないことの方が多いのかもしれない。特に親は子を自分のもの、自分の一部だと思いがちだけど、子にとっての親は、神さまみたいに怖いものだったり、絶対的な他者性を持っている。

わかりあえて当たり前と、つい思いがちな家族、だからこそ、すれ違う理由を考えることすら忘れていて、愛憎相半ばするストレスだけが蓄積されていく。問題はキッチンで燻る。全ての不都合が強力な薬剤で全部洗い流せたら、という実に危険な夢想の曲「バクダン・ジュース」がまた絶品だ。

これらの曲を三十代前半でスガシカオは書いて、レコーディングしている。その才能。その衝動。天晴れとしか言いようがない。第一作で才能を認められ、(たぶん)ちょっとだけレコーディング予算が増えて。音の充実感は増しているが、全体的に、アマチュアっぽさが横溢している空気感。自分らしさを解放して、それで果たして売れるのか、どうなのか。逡巡しつつも、やったれ、と爆発させているから、書く曲全部、名曲になる。気合を抜いた曲すら素晴らしい出来になる。

こういうクリエイティブに満ちたものに触れるから作りたくなるのか、作りたくなったから聞き返してしまったのか。

(ようへい)

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