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ナギサさん大好きな3歳の次女

3歳になったばかりの次女が、「私の家政夫 ナギサさん」というドラマが好きで、よく録画を見せて欲しいとせがむ。つけたらつけたで、結構真面目に視聴する。

昨夜わかったことが、どうも、自分自身は多部未華子に投影していて、パパのことを大森南朋になぞらえている、とのことだった。
「あみちゃんが!このおねーさん!パパは!なぎしゃさん!」と、叫んでいた。

この2人が最終的には夫婦になるという話であるわけだが、大森南朋は「母性愛あふれる、お母さんになりたかった男性」を演じていて、年齢も離れていて、父娘のような関係性である。

次女がどの程度まで読解して、どのように解釈し、なぞらえているのかは、永遠の謎だ。いまの時点で彼女にそれを言語化できるわけもなく、記憶も忘れられていくだろう。
それでも、この事例が、3歳という年齢がフィクションを解釈する基本的な能力を獲得する年齢だという証左であることは間違いない。

長女と食べ物を取り合ったり、抱っこして欲しいとかお風呂は嫌だとか、欲求を制御できない姿を見ると、本当に幼いし、まだまだ半分、獣みたいに感じるわけだが、発語や表現が幼いからといって、メタ認知や文脈を読み取る力も幼いとは、限らない。
そのことは、発育や発達、あるいは、人間の認知能力を考えるうえで、とても大切なことを示唆しているような気がしてならない。

(ようへい)

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