自然であれ、ただのそれだけ

書きたくても全く何も出てこない時期があります。それはもうそれとしてじたばたしません(実際はしますが、ほぼ全部消しちゃいます)。むしろ街に出向いたり本を読んだりを多めにします。

街に目を向けて日々の在りようを観察します。街行く人を良く見ます。姿や表情、あるいは空、陽気の緩急を意識します。ぼーっとすることを意識的にします。ぼーっとして自然に近付くようにします。

書くべきことは自身の中から出てきます。ただその出処は自分というよりは、街の風景とか自然からで、自身は媒介であるだけで、ただ自然の声を聴いた結果として書くべきことは出てきます。

どちらかといえば耳を澄ませることに重きを置きます。

実際に書く際は、まず机の前に座って目をつむり、目を閉じてじっとします。結果眠くなって全く頭が働かないこともあります。それはそれ、紡ぎ出そうとする行為に身が向いたということであればよしです。耳を澄ませているだけで何も聴こえてこないことだってあります。ただちゃんと、注意深く耳を澄ませることだけは諦めないように。

そんな風に思っていたら、近所の桜(六義園の枝垂れ桜)がほぼ見頃を迎えており、その圧巻を目の当りにしたらそれだけで充分にいろいろと聞こえてきた気がしました。

自然であれ、ただのそれだけと思ったのでした。


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