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朝鮮半島と日本

2020年6月北朝鮮が南北合同連絡事務所を爆破した。韓国の脱北者団体によるバルーン工作にぶち切れた結果だ。南北融和の象徴だった金与正氏の微笑み外交が、一転、罵詈雑言というこの落差は衝撃的だった。

一方、韓国と日本の関係も冷えきっている。ホワイト国外しから、半導体材料輸出規制。WTO提訴。日本製品不買運動。徴用工日本企業賠償問題。元慰安婦支援団体寄付金私的流用疑惑。等々

この機会に朝鮮半島の人々の気質、反日の心理は何なのか、歴史、思想を参考に考えてみたい。

朝鮮半島は、中国、ロシアの大国に囲まれ、海を南下すればすぐ日本である。この地理的要因から侵略を受け続けた歴史がある。統一国家は中世から近世の1356~1392年高麗、1392~1897年李氏朝鮮の時代である。特に500年続いた李氏朝鮮の時代が、現在の朝鮮半島の人々に相当の影響を与えたことは間違いない。

当時の李氏朝鮮は明や清の冊封国家であり、属国であった。国家というよりは、地方自治体という感覚が正しい。明や清に対し貢物を定期的に納め、敵対しないので攻めてこないで下さいという従属関係。

1616年、清は満洲において建国され、明を滅ぼし、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。明は多数派の漢民族だが、清は少数派の満州族であり、李氏朝鮮は、満州族を野蛮人と見なしていたため、従属は相当な屈辱感があったと考えられる。我等こそ、この世界の中心とした中国の中華思想を李氏朝鮮も持っており、小中華主義といわれた。280年も軽蔑する野蛮人に従属する心理は正直わからないが、心と体の分裂状態なので、相当ストレスであったに違いない。当時、日本も同様に野蛮人と考えられていたので、未だにその意識は変わらず、現在も全てにおいて上から目線である。格下の日本にいちいちヒステリックな反応をするのも、そのプライドから来るのである。

このように明や清の属国でありながら、プライドだけは高い。それは儒教、特に朱子学の影響であろう。儒教は争いのない世界にするために秩序や道徳が大切という教えであるが、朱子学はそれを更に厳格にし、徹底した上下関係を説いた。結果、差別的な解釈が最も顕著な形で表れ、階級制度による差別を助長した。特に科挙によるエリート特権階級の両班は悪名高く、まともに働きもせず、下の階級から採れるだけ搾取した。官職はお金で売買され、賄賂、汚職が横行した。両班や官職は、下層階級の賤民・奴婢を使い、その財産を強制的に接収した。下層階級は、逆らうことも出来ず、搾取され続ける他なかった。

背景には前国家、高麗が仏教を奨励していたため、李氏朝鮮はこれを徹底的に排斥し、仏教思想が壊滅した。そのため、かたくなな不寛容さ、柔軟性のなさが加速され、ガチガチの封建主義から脱却出来なかった。支配者からすれば、封建体制を維持するために、朱子学ほどぴったりな思想はなく、逆に仏教思想は非常に危険であった。なぜなら、生きとし生けるもの全て平等という思想だったから。たまたま人間界に生を受け、生かせて頂いている。もし、悪行を積めば、次は動物界に生まれるかも知れない。もとは同じ生命体である。この様な思想は、階級身分制度の支配者には不都合この上ない。

当時の日本、徳川幕府においても、儒教が、最も重要な思想であったが、キリシタン排斥のため、仏教を利用し、檀家制度を設け、戸籍管理的な機能を担わせた。一般庶民には仏教思想が広まり、神仏習合や儒教と併せ、良いとこ取りの思想を残した。他者に寛容であり、道徳、秩序を重んじるという気質である。「お天道様(神様仏様)が見ておられる」という意識が、自制心や道徳心を育んだ。また、「袖触れあうも他生の縁」赤の他人でもいつかどこかで、縁ができるかも、などは他者への思いやりを大切にする仏教用語である。

一方、李氏朝鮮は、清からの他の思想を受け入れる事なく、封建制度を維持し、国としての社会発展は完全に停滞した。新しい思想を受け入れず、一つの価値観に縛られた結果、組織が腐ってしまった。不寛容で他者への思いやりがない。融通がきかなく、頑なである。他者に対し、常に上に立とうとする差別意識。選民思想。自分が絶体正義、誤りを認めない。男尊女卑。賄賂、汚職、利権。特権階級の奢り。暗殺。謀略。

あまり悪く言いたくないが、申し訳ないけど、現在も上記のイメージしかない。韓国歴代大統領の悲惨な末路や利権に群がる親族など、本質は変わっていない。

余談ですが、日本らしいエピソードとして、落語の三方一両損を挙げてみましょう。 左官金太郎が三両拾い、落とし主の大工吉五郎に届けるが、吉五郎は落とした以上、自分のものではないと受け取らない。喧嘩になり、大岡越前守の裁きを受ける。大岡は一両足して、二両ずつ両人に渡し、三方一両損にして解決するというお話。史実かどうかは別に、まず、拾った現金を懐に入れずに届け、落とした方も受け取らない。最後に三人で丸く納める。なんとも日本的であります。

李朝と違い、中国や日本では、朱子学は徐々に廃れ、代わりに行動的、実践的な陽明学が主流となっていく。幕末になると、吉田松陰や高杉晋作、西郷隆盛なども陽明学の影響を受け、革命運動、倒幕運動へ進んでいくことになる。停滞したままの李朝をよそ目に、1840年、清とイギリスのアヘン戦争勃発。清が敗れ、日本は相当危機感を持った。西欧列強の帝国主義に対する恐怖であろう。1853年黒船来航、1868年明治維新を経て、日本は朝鮮半島に干渉する。世界がこれだけ変化している中、李氏朝鮮は、相変わらず封建体制のままであった。結果、日清、日露戦争を経て、日韓併合となる。その是非はともかく、伊藤博文は何故朝鮮半島にこだわっていたのか。これは別の機会に考察したい。

現在、朝鮮半島における南北統一が、文在寅大統領の悲願であるらしい。恐らく今後も無理であろう。可能性があるとすれば、どちらかの体制が崩壊して、南北の儒教上の親である中国が仲介することしかないでしょう。まとめて自治可能な保護国にする。ただ、それが中国にとって何かメリットがあるのかどうかが問題で、恐らく、厄介事でしかないであろう。今後、日本も付き合い方を考えた方が良い。


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