見出し画像

写真の「むずかしい問題」を解決してしまいましょう

例えば、初めて単焦点レンズを購入するとき、何ミリのレンズを買おうかと悩みますよね。

そして、ネットの情報を漁ったり、友達にアドバイスをもらったりして、ますます悩みが深まるという。(笑)


写真は「むずかしい問題」であふれています。

「どっちから撮るの? 右? 左?」

「この場合何ミリで撮ったらいいの?」

「モデルの手の位置はどこに持って行ったらいい?」

「光はどっち?」

「カメラはどれ?」

ありとあらゆる悩みと問題。

悩みや問題を解決することがイコール「写真をやること」みたいになっています。

だから、ネットやテキストで「この場合はこう撮れ」みたいなレシピがたくさん溢れかえっているわけですね。


果たして、

問題は解決するのでしょうか?

ほんとうにその場合、50mmで撮るのが正解なのでしょうか。

ほんとうにその場合、モデルの手の位置はそこが正解なのでしょうか。


正解はひとつの「解釈」です。

平安時代の美人の基準と、現代のそれとが全く異なるように、「解釈」は多種多様です。

10年前の流行が、今では「だっせぇ」となるように、解釈は流動的です。

西の大御所の言うことと、東の大御所の言うことは、真逆だったりします。


すなわち、正解は「無い」のです。


あなたが求めているのは、正解ではなく「安心」です。

偉い人が言ってた、教科書に書いてあった、ビックカメラの店員が言ってた。

あなたが求めているのは、不安の解消です。

ホッとしたいわけです。



生きることは不安との戦いですね、わかります。

写真でも不安は避けたいですね、わかります。

でも、あえてやらなくてもいい写真をやっている意義は、なんでしょうか。

写真は不安から逃れるためにやっているのではなく、自由を謳歌するためにやっていますね。

そうじゃないですか?

なんであえて実生活の苦しみを、好きでやっている趣味に持ち込む必要がありますか。



さりげなく、何の違和感も無く、実生活の論理が写真に持ち込まれています。

「ねえねえ、どうしたらいい?」

「これでいいかしら? 大丈夫かしら?」


いいに決まっています。


だって正解なんて無いんですから。

「全部いい」のが写真のいいところです。

スポーツやビジネスと違って、写真に勝ち負けはありません。


あなたの選んだそれ、その選択、その解釈。

全てが正解であり、最善であり、最高です。

例外なく、全てです。


ちまたにある正解はひとつの解釈であり、その解釈が正解であるのと同じ理由で、あなたの解釈も正解です。

その解釈はその人が正解だと思ったから正解なのです。

「これこれこういう理由で」という論理的な根拠だろうと、「ただ何となく」だろうと、その人が正解だと思ったから、それは正解です。

逆に言うと、正解以外は選べません。(笑)

あなたが選んだそれは、全て正解なのですから。


さあ、あなたの選択は全て正解なのですから、もう迷う必要はありません。

あなたはあなたのやり方で、もう本当に最高なのです。

悩み無用。

どこぞの宣伝みたいですが、それがあなたがやっている写真の実態です。(笑)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?