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絶望してから

週刊文春2023年6月23日号「新・家の履歴書」に古舘寛治さん登場。

「ツイッターというのはロクなメディアじゃない。きちんと議論ができる場所でもないし。それでも発言する意味はあると思って続けていたんですが、あまりにも自分の悪口ばかり書いてある公衆便所には入りづらくなっちゃったんですよね、去年、アカウントを閉じました。最近の選挙結果に落胆したのもあります。」

アカウントを閉じられたとは知らなかった。
正直に、わかりやすく綴られていらしたから大変だったんだろう。

「もちろん、今後も言いたいことは言っていこうと思っています。ただ、日本に対する失望はかなり大きくなってますね。これだけ社会が壊れているのに、ほとんどの人が黙っている。投票にも半分が行かない。本当に大変な未来が待っていると思いますよ。」

こんなに「同感だ」「オレが書いたんじゃないのか」と思った一節もないというか、びっくりした。特に「ほとんどの人が黙っている。投票にも半分が行かない」のところ。僕も「本当に大変な未来が待っていると思いますよ」と思っているから、「家畜化」を疑っているほど。

でもホントにこんな政府、自治体施策にも、マジョリティは動かない。「森友」「加計」「桜を見る」なにも落着していない。東京五輪だって強行突破、まだ大阪で万博をやるんだとか、今もマイナンバー・カードで稚拙なミスが続くのに、黙って日々苦しくなっていく日常を生きている。
無用の高層ビル、神宮をはじめとする都心再開発事業は、この状況で大手のデベロッパーだけを太らせる。横浜市役所は中期計画が立てられなくって、電通に丸投げ。こんな状況にも、給料が30年上がらなくても、みな「私の暮らし」に籠って玄関さえ開けない。窓にも鎧戸だ。

「絶望の国の幸福な若者たち」は若者たちにとどまらず、各世代に蔓延している。

 インタビューは

「正直なところ、この国にはかなり絶望しています。でも僕は僕で、やりたいことをやっていきたい。何しろ、おまけの人生ですからね。」

と結ばれている。「正直なところ、この国にはかなり絶望しています」は、これまた、まさに同感。僕も絶望の極みにいる。

文中にある「おまけの人生」とは、古舘さんが27歳のとき、交通事故で「死にかけた」ことによる。友人のクルマに同乗、首の骨にひびが入り、顎は割れ、歯はグラグラ、肋骨も何本か折れ、肺がひとつ潰れていたという。しかも当時在住のアメリカでのできごと、医療費が高額に及び、10日間で退院せざるを得なかったんだという。

僕も10年ほど前に、案外、重篤な脳出血で倒れて、今も、ものが二重に見える「複視」やら、右腕の痺れは取れないやら、右手は使えないから、人工「左利き」で生きていることとか。脚も上手く使えないやら、やたらとバランス崩すやら。まさに僕も死にかけて今日に至る。

今は、僕も一度「死んだ後」だと思っている。
で、自分の身体にも絶望なんだ。リハビリが効くこともあるだろうけれど、何も支障がなくなる頃には、こっちも死んでるだろうって。

そういうこともあって、僕の場合「おまけ」というほど好意的には受け止めてはおらず、たぶん人生を終えさせてもらうには、まだ課題の提出が足りないのだろうくらいに思っているのだけれど、一度「死んだ後」。その感じはまさに似たような。

さて

現状の世の中は、近く一度崩壊すると思っている。生活習慣病を放置して脳出血でぶっ倒れた僕と同じ。

その後をにらんで僕は何をするのか。

僕自身「集める」「集まる」が苦手で、なんでも自分一人で仕事(つまり収入を確保する)を完結できるようにと進化させてきて、これからはチャットGPTとのコンビで「ひとり働き」の人も増えるだろうし、都市には「孤独」が溢れるだろうから、こういう人たちのための「集まらない」生活互助な「つながり」メイキングを模索していこうと思っている。

マイノリティのための「私立の公共政策」ね。そこが目標。一応、専門は「公共政策学」だし、公共政策とか変わって40年は経つから。

これとは別に「なごみ」の提供、国や自治体の公共政策へのオブジェクションやっていくし、「農はたしなみ」の自給農も続けていく。

でも、そんなことの集大成が「一人で生きてるマイノリティのための、集まらない、生活互助なつながりメイキング」。僕にできることはそんなことかなって。

でね。これは、たぶん先に死ぬ僕が、奥さんのために残せるシェルターでもあるんだ。

完全に一人ぼっちにならなかったのは、奥さんのおかげだからね。

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