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そう遠くはない。

テレビの一場面だった。経験者へのインタビュー。脚に大怪我を負って動けなくなり、目の前で親御さんが腐っていく姿を目の当たりにするしかなかった。その後、米軍に救助されるが、現在に至るも生きていることを呪っていると。

沖縄は戦場だった。

これも沖縄でのこと。一人のおばあが、外科的には問題がないのに脚が動かなくなり、少しでも動かそうとすると激痛を伴うようになった。おばあを診察した医師には数例の類似例の経験があったから、すぐに臨床心理士や精神科の医師の協力を仰いだ。やはりPTSDだった。子どもだったおばあは必死の逃避行の中、誤って「死体」を踏んでしまう。その申し訳なさが忘れられず、トラウマとなっていた。生活にゆとりができてきて、そうしたことが顕在化する。擬痛となってトラウマが蠢き始めたのだ。

(「擬痛」には、僕も身に覚えがある。脳出血で倒れて後、数年は「擬痛」に悩まされた。僕の場合は、脳内連携の御作動だったが)

この国は、また、あの頃と同じ道を歩き始めた。政府が、この苦境に処方箋を描けなくなり、人々の「丸投げ」体質も改まらなければ、為政者は「戦争」に逃げる。

タモリさんの「新しい戦前」が的を射ていたのだろう。多くの人の胸に刺さった。だから「新しい戦前」を冠した書籍や雑誌の特集が目につくようになった。

たぶん。そう、遠くはない。

しかも、よほどのことがない限り避けられないのが現実だ。避けるにはタイムマシンが要る。

でも不時着に備えることはできる。早期の戦後復興を目指して計画を練ることはできる。

徒手空拳で無防備に「これまで通り」を繰り返す。準備をするにしても「誤差に過ぎない」ことに終始する。それだけは避けた方がいい。

「準備しない」にだって覚悟がいる。

震災に備えるんだって「非常持ち出し袋」じゃ済まないことを、僕らは充分に知っているはずだ。