クリエイティブ・クラス
「クリエイティブ・クラス」とは、経済学者であり社会学者であるトロント大学(カナダ)の教授であるリチャード・フロリダさんが提唱する新顔な労働者階級のこと。あくまでも労働者階級の中に位置して、脱工業化した都市において「経済成長の推進力」になると、フロリダさんは、そう考えておられる。
古典的な知識労働者。金融とか、法律、教育の分野で勉強してきて得た知識を駆使するオールド・タイプ。それに研究者やプログラマー、アート、デザイン、メディアでクリエイティブな仕事をする、こちらは新しいタイプの人。これに、さらにボヘミアンな自由人たちも加わって、リチャード・フロリダさんは、このあたりを「クリエイティブ・クラス」と呼んでいる。
つまり、知価(情報)生産に従事する人たち。
実際「製品」を造る工場が海外に流出した後、あるいは、そのあたりがAIとロボットの独壇場になってしまった後は、エッセンシャル・ワーカーと、アイディアをひねり出す人と、それをサポートする知識人が稼ぎ手になるんじゃないかと。
(いいアイディアは多数決な会議から出てくるものではなく、とても個人的な仕事だかし、あとはAIとロボットなんだから、部長さん、課長さん的な管理職見なくなっちゃってるんだろうし)
このクリエイティブ・クラスによる知価(情報)生産に不可欠なものが「出会い」。異なった考え方やライフスタイルを持つクリエイティブ・クラスの人どうしが出会って話して化学変化を起こして、その出会いが、ありえなかった「新しいアイディア」を生み出すことに繋がる。
風通しがいい圧迫されない風土や環境もそうか。
こうしたことを可能にする場所こそが経済的にも隆盛になる。
そういうことから都市を、リチャード・フロリダさんは「クリエイティブ都市」などとおっしゃっているけれど、僕は、必ずしも都市じゃなくなって、多様なクリエイティブ・クラスの人々に居心地を提供でき「出会い」をメイキングできる人がいる場所ならば、そこが「村」だって「クリエイティブ都市」はできるんだと思っている。
(むしろ、街を漂白する「都市再開発」に狙われないような、小さな町や村の方が有利かもしれないな)
それゆえ、景観、ライフスタイルに「画一を」強いるようなところは、現状、経済的には大都市でも衰退していく。
逆に、どこにだって「クリエイティブ都市」は現出する。
僕らがより高い給料を望み、より安く、いい商品を求めれば工業生産は海外に流出し、より安くよりコンビニエンスで良質なサービスを求めれば国内にいても労働市場は国際化する。
誰の陰謀でもなく、この時代の変化を牽引してきたのは僕ら。
憶えて、慣れて、「みんな」で、「だいたい」な感じでする仕事はなくなっちゃうんだ。
(「これから」ではどうしようもない。もう、とっくに賽は投げられちゃってる感じ)
エッセンシャル・ワークも、個人技な世界だし、なにより高い就労意欲が求められる。しばしば、命懸けでもあるしね。「無難」でも「落とし所」的な職場でもない。
もうすぐ「仕事像」は、様変わりする。